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実践的ルームアコースティック完全ガイド【第1部】
room-acoustics-guide-part1

📚シリーズ目次

【実践的ルームアコースティック完全ガイド】6部作シリーズ

  1. 【第1部】序論・部屋の音響物理学 ← 現在のページ

目次(第1部)

  1. 序論:最後の、そして最も重要なコンポーネントとしての「部屋」
  2. 第1章:戦場の理解:部屋における音の物理学と心理音響学

オーディオ感性評価の基本を知りたい方(ΦωΦ)

序論:最後の、そして最も重要なコンポーネントとしての「部屋」

📋 この章の要点

  • オーディオ再生において、部屋は最も重要でありながら最も見過ごされがちな要素
  • 石井伸一郎氏:「良い音が得られない原因はほぼ100%、部屋にある」
  • 本ガイドは科学的原則に基づいた体系的アプローチで、誰でも実践できる改善手法を提供

前提:オーディオ再生における部屋の支配的影響力

100万円のスピーカーを導入する前に、この記事に書かれた1万円の対策を試す方が、音は良くなるかもしれません。なぜなら、オーディオ再生における最終的な音質を決定づける最も重要な要素は、機器が設置される「部屋」そのものだからです。オーディオコミュニティにおける長年の経験則と、音響工学の科学的知見は、この点において完全に一致しています。すなわち、音響的に劣悪な部屋では最高級の機器もその真価を発揮できず、逆に、適切に音響処理された部屋では、比較的安価なシステムでさえ驚くほど優れたサウンドを実現し得るのです。

石井伸一郎氏が提唱するように、優れた機器を組み合わせても良い音が得られない場合、その原因は「ほぼ100%、部屋にある」と断言できます。このレポートは、このオーディオにおける根源的な課題に正面から向き合い、一般家庭の既存のリスニングルームを、科学的原則に基づいた実践的な手法で改善するための包括的なガイドです。

課題と機会:小部屋特有の音響問題

このガイドが焦点を当てるのは、コンサートホールやプロフェッショナルなスタジオのような大規模空間ではなく、一般的な家庭に見られる「小部屋(small room)」です。小部屋の音響は、大規模空間とは根本的に異なる物理法則に支配されており、特有の課題を抱えています。

小部屋特有の課題:

  • 低周波の共鳴(定在波):部屋の寸法に関連した特定の周波数での強い共振
  • 不快な反響(フラッターエコー):平行面間での音の往復による金属的な響き
  • 音色の歪み(コムフィルタリング):直接音と反射音の干渉による櫛型の周波数特性

これらの課題を理解することは、効果的な対策を講じるための第一歩となります。本レポートでは、部屋の音響を克服不可能な障害としてではなく、音質を飛躍的に向上させるための最大の「機会」として捉えます。

ロードマップ:理論から実践への体系的アプローチ

本ガイドは、読者が自らのリスニング環境の「主治医」となることを目指し、以下の体系的なロードマップに従って構成されています。

🔄 音響改善の体系的プロセス:

1. 音響物理学の理解
2. 音響目標の設定
3. 現状の診断・測定
4. 配置の最適化
5. 物理的音響処理
6. デジタル補正
7. 理想の音響空間

このプロセスを一つずつ進むことで、誰でも論理的に、そして着実に自室の音を改善していくことが可能です。


第1章:戦場の理解:部屋における音の物理学と心理音響学

さあ、最初のステップです。効果的な対策を講じるためには、まず我々の「戦場」である部屋の中で、音がどのように振る舞い、脳がそれをどう解釈するのかを知る必要があります。

📋 この章で学べること

  • 直接音、反射音、残響音の違いと、それぞれが音質に与える影響
  • 小部屋特有の音響障害(ルームモード、フラッターエコー、コムフィルタリング)の物理的メカニズム
  • 波動音響学と幾何音響学の違い、およびシュレーダー周波数の重要性
  • ハース効果、ASW、LEVなど、人間の聴覚メカニズムが音響知覚に与える影響

1.1. 音の旅路:直接音、反射音、残響音場

リスナーの耳に届く音は、単一の音ではありません。それは、時間的に異なる複数の要素が複雑に合成されたものです。これらを理解することは、ルームアコースティックの第一歩です。

音の伝搬経路(3つの音要素)

リスニングルーム内での音の伝わり方
スピーカーリスナー部屋の幅 (m)部屋の奥行 (m)02468012345
直接音(最短経路)
初期反射音(1回反射)
後期反射音(複数回反射)

直接音(実線): スピーカーから壁に当たることなくリスナーに直接届く音

初期反射音(破線): 壁・床・天井で1回反射してリスナーに届く音

後期反射音(点線): 複数回反射を繰り返して遅れて届く残響音

キャプション:スピーカーからリスナーに届く音の3要素。直接音、壁・床・天井で1回反射する初期反射音、そして無数に反射を繰り返す後期反射音(残響)。

音の3要素の詳細

  • 直接音(Direct Sound):スピーカーから放射され、壁や天井、床などに一度も反射せずにリスナーの耳に直接到達する音です。音源の基本的な音色や定位情報(どこから音が鳴っているか)を決定づける最も重要な成分です。

  • 初期反射音(Early Reflections):直接音の直後に、天井や床、前後の壁、側壁などの境界面で一度だけ反射して耳に届く音群です。スピーカーから放射される音のうち、真っ直ぐ耳に届く直接音に対して、初期反射音はスピーカーのオフ軸応答や周囲の表面の吸音特性に左右されます。これらの反射音は、音の広がり感や空間の大きさといった「音場感」の形成に大きく寄与しますが、強すぎたり、直接音との時間差が短すぎたりすると、音像をぼやけさせ、音色を変化させる原因ともなります。一般に、初期反射音の到達が5~30 ms以内であれば脳は直接音と融合して単一の音として知覚しますが、遅れが大きすぎるとエコーとして分離され、早すぎるとコムフィルタリングの原因になります。

  • 後期反射音(残響音場、Reverberant Field):何度も壁面間で反射を繰り返した結果、無数の方向からランダムな位相で耳に到達する密度の高い音の集合体です。この残響が豊かであると、音楽に包み込まれるような心地よい「響き」や「臨場感」が生まれます。しかし、過剰な残響は音の明瞭度を著しく低下させます。

早期反射音と後期反射音の区別:初期反射音は一回の反射でリスナーに届く単発の跳ね返りであるのに対し、後期反射音(残響)は空間内で何度も反射を繰り返して密度の高い音場を形成します。前者は定位や音像の安定に影響し、後者は包囲感や残響感を支配します。

音場の領域と臨界距離

  • 臨界距離(Critical Distance, Dc):直接音のエネルギーと、すべての反射音からなる残響音のエネルギーが等しくなるスピーカーからの距離を指します。この臨界距離よりも手前で聴くこと(ニアフィールドリスニング)は、部屋の反射音の影響を相対的に低減させる有効な戦略の一つです。
    • 計算例: 一般的な6畳間で残響時間(RT60)が0.5秒の場合、臨界距離はおおよそ1.2m程度となります。これよりスピーカーに近づけば、部屋の反射音よりスピーカーからの直接音を優位に聴くことができます。

直接音の音圧は球面波として拡散するため、距離が2倍になるごとに約6 dBずつ減衰します。一方、室内で乱反射を繰り返す残響音場の平均レベルは距離にほとんど依存しないため、スピーカーから離れるほど直接音と残響音の比率は急速に低下します。このため、臨界距離は部屋の容積や残響時間、平均吸音率によって決まり、一般的なリビングルームでは1〜2 m程度になることが多い。ニアフィールドで聴取すれば、反射音による色付けを大幅に抑えることができます。

1.2. 音響的な敵:室内における主要な音響障害

戦場を理解したら、次に知るべきは敵の正体です。我々のリスニングルームには、音を歪ませる3種類の厄介な敵が潜んでいます。それぞれの特性を知り、弱点を見抜きましょう。

ルームモード(定在波、Standing Waves)

小部屋における最大の音響問題です。部屋の向かい合う平行な壁面(壁と壁、床と天井など)の間で、特定の周波数の音が共鳴し、定常的な波を形成する現象です。

ルームモード(一次軸モード)の音圧分布

例:短辺2.7mの部屋、63Hz(f = 343 / (2 × 2.7) ≈ 63Hz)

腹(壁際): 音圧が最大となる位置。低音がブーストされて聴こえる

節(中央): 音圧が最小となる位置。低音がキャンセルされて聴こえない

対策: リスナー位置を節から避ける、ベーストラップで定在波を減衰させる

キャプション:部屋の対向壁間で発生する一次軸モードの音圧分布。壁際で音圧が最大(腹)となり、部屋の中央で最小(節)となる。

  • 計算例: 例えば、あなたの部屋の短辺が2.7mだとすると、計算式 f = 343 / (2 * 2.7) から、約63Hzに強烈な定在波が発生している可能性があります。これはベースの低い「ド」の音あたりに相当し、この音だけが不自然に響いたり、逆に全く聴こえなくなったりする原因です。

定在波の周波数は、部屋の寸法と波長が一致する条件で発生します。一般化したモードの周波数は以下の式で表されます:

f_{n,m,p} = \frac{c}{2} \sqrt{\left(\frac{n}{L_x}\right)^2 + \left(\frac{m}{L_y}\right)^2 + \left(\frac{p}{L_z}\right)^2}

ここで、c は音速、L_x,L_y,L_z は部屋の長さ・幅・高さ、n,m,p は整数モード番号です。n,m,p のうち一つだけが非ゼロのものが軸モード、二つが非ゼロのものが接線モード、三つすべてが非ゼロのものが斜めモードであり、エネルギーはそれぞれ 4:2:1 の比で減少します。軸モードは一対の平面間で発生するため最も顕著で、低音のブーストやキャンセルを引き起こします。接線モードや斜めモードは複数の面にエネルギーが分散するため影響が小さく、モーダル密度を高めてバランスを取る役割を果たします。

モードの種類と特性

エネルギーが最も強く、減衰しにくいため最も問題となるのが軸モードです。

モードの種類関与する面エネルギー比減衰のしにくさ聴感上の問題
軸モード (Axial)2面(対向面)4最も遅い最も深刻。特定の低音がブースト/キャンセルされる主原因。
接線モード (Tangential)4面(角を共有)2中程度軸モードに次いで問題となりやすい。
斜めモード (Oblique)6面(部屋全体)1最も速い最も問題になりにくい。

🧮 あなたの部屋のルームモード計算機

部屋の寸法を入力すると、問題となる定在波の周波数を計算します
(m)
(m)
(m)
容積: 42.0(約25畳)
📐 部屋の比率評価
✅ 良好な比率です!モード問題が比較的少ない部屋です。
現在の比率(最長辺基準): 1.00 : 0.70 : 0.48
寸法順: 5.0m × 3.5m × 2.4m
推奨: 1:0.62:0.38(黄金比系)、1:0.63:0.43(Bolt推奨)
🎵 検出された軸モード(300Hz以下)
34.3 Hz
奥行き 1次モード
B0付近
49 Hz
1次モード
C1-D1付近
68.6 Hz
奥行き 2次モード
D2-E2付近
71.5 Hz
高さ 1次モード
D2-E2付近
98 Hz
2次モード
F2-G2付近
102.9 Hz
奥行き 3次モード
A2-B2付近
137.2 Hz
奥行き 4次モード
C3-D3付近
142.9 Hz
高さ 2次モード
C3-D3付近
147 Hz
3次モード
C3-D3付近
196 Hz
4次モード
E3-F#3付近
214.4 Hz
高さ 3次モード
中音域
285.8 Hz
高さ 4次モード
中音域
⚠️ 特に注意が必要なモード
68.6Hz と 71.5Hz が近接 (差: 2.9Hz)
98Hz と 102.9Hz が近接 (差: 4.9Hz)
137.2Hz と 142.9Hz が近接 (差: 5.7Hz)
142.9Hz と 147Hz が近接 (差: 4.1Hz)
周波数差5%未満または8Hz未満の近接モードは音が濁る原因となります
💡 対策のヒント
  • コーナー(低域モードの腹)にベーストラップを配置
  • リスナー位置を部屋の中央からずらし、主要モードの節を避ける
  • スピーカー/サブウーファーの位置を調整し、問題モードの励起を抑える
  • 大型家具や本棚などを腹に配置してピークを緩和(位置自体は変わらないが強さを下げる)

※ 100Hz以下のモードが特に問題となりやすいです

あなたの部屋の寸法を入力して、実際にどの周波数で定在波が発生するかを確認してみましょう。

フラッターエコー(Flutter Echo)

平行で硬い反射面の間で、拍手のような短い音が「キンキンキン…」と鳴き竜のように響き続ける現象です。トンネルの中で手を叩いたときの金属的な響きや、地下街での足音の反響を思い出してください。これは中高音域の問題であり、音の明瞭度や繊細な余韻の再現を妨げます。平行な壁や床・天井の間に音エネルギーが閉じ込められると、短時間に多数の反射が往復して空気を周期的に励起し、まるで金属板の共振のような「鳴き」が発生します。この現象は主に中高域で発生し、ディティールの表現や残響の透明感を損ないます。改善策としては、平行面の一方に拡散体や吸音材を設置して反射のエネルギーを散らすことが効果的です。

コムフィルタリング(Comb Filtering)

直接音と、ごくわずかに遅れて到達した反射音が干渉し合うことで、周波数特性上に櫛(Comb)の歯のような無数の鋭いピークとディップが生まれる現象です。例えば、直接音に対して約1 ms遅れた反射音が重なると、500 Hz付近の周波数が打ち消され、1 kHz付近が強調されるといった具合に周期的なピークとディップが現れます。遅延時間が短いほどディップの間隔は広がり、5 ms程度までの初期反射が主な原因となります。このようなコムフィルタリングは、小さな部屋や机の天板、近くの壁などからの反射で特に顕著であり、スピーカーの設置や一次反射点の処理によって緩和できます。リフレクションフリーゾーン(RFZ)を形成するため、リスニング位置の左右・天井・床に吸音材やディフューザーを配置し、初期反射を減衰または拡散させる方法が有効です。

初期反射の制御とリフレクションフリーゾーン(RFZ)

初期反射の遅延が短すぎると音像を滲ませ、コムフィルタリングの原因となるため、最も早い反射を制御することが重要です。スピーカーとリスナーの間の壁・床・天井において、鏡を用いてスピーカーの像が見える位置が一次反射点であり、そこに吸音パネルや拡散体を配置します。この処理によってリスニング位置周辺にリフレクションフリーゾーンが形成され、直接音の質を保ったまま広がり感を向上させることができます。また、スピーカーは背面壁から部屋の長さの約38 %の位置に置くと低域の定在波を避けやすいとされ、リスニングポジションもこのルールに合わせて調整すると効果的です。

1.3. 小部屋の難問:波動音響学 vs 幾何音響学

コンサートホールのような大規模空間と、私たちが日常的に使用するリスニングルームのような小部屋とでは、音の振る舞いを解析するための学問的アプローチが根本的に異なります。

シュレーダー周波数(Schroeder Frequency)

部屋の音響特性が、低周波数帯で支配的な「波動的挙動(定在波)」から、高周波数帯で支配的な「幾何学的挙動(光線のような反射)」へと移行するおおよその境界となる周波数を シュレーダー周波数 (Fs) と呼びます。

シュレーダー周波数による音響解析領域の分類

例:容積40m³(約10畳)、RT60=0.4秒の部屋 → fs = 200Hz
波の領域(モード支配)
光線の領域(反射支配)

波の領域(低域): 定在波が支配的。ベーストラップ等のモード対策が有効

光線の領域(高域): 反射音が支配的。吸音・拡散による反射音制御が有効

計算式: fs = 2000 × √(RT60 / V) [Hz]

周波数軸上の概念図。シュレーダー周波数を境に、低域側は「波の領域(モード対策)」、高域側は「光線の領域(反射音対策)」としてアプローチを分ける必要がある。

  • 計算例: 容積が40m³(約10畳)で残響時間が0.4秒の部屋なら、シュレーダー周波数は 2000 × √(0.4 / 40)約200Hzとなります。つまり、ベースやバスドラムの帯域は「波」として、それ以上の中高音域は「光線」として対策を考える、という切り分けが重要になるのです。

小部屋では残響時間が長すぎると定在波による濁りが生じやすいため、再生する音楽の明瞭度を確保するには残響時間を0.2〜0.5 秒程度に抑えるのが望ましいとされています。

📊 シュレーダー周波数計算機

部屋の音響対策の境界周波数を計算し、対策方針を決定します
📏 部屋の寸法
(m)
(m)
(m)
容積: 42.0(約25畳)
⏱️ 残響時間(RT60)
適切(推奨範囲0.36-0.46秒)
📝 残響時間の参考値
デッドな部屋:0.2-0.3秒
標準的なリスニングルーム:0.3-0.5秒
響きのある部屋:0.5-0.8秒
エコーの多い部屋:0.8秒以上
🎯 計算結果
195 Hz
シュレーダー周波数(境界周波数)
🌊 波の領域(モード対策)
195 Hz
対策方針:
標準的な境界周波数 - バランスの取れた対策を
主要な軸モードにベーストラップ
☀️ 光線の領域(反射音対策)
195 Hz 〜
対策方針:
200Hz以上で吸音・拡散処理
💡 解釈とアドバイス

シュレーダー周波数とは:部屋の音響特性が「波」の性質から「光線」の性質に変わる境界周波数です。

あなたの部屋では:195Hz以下では定在波(モード)対策が、195Hz以上では反射音制御が重要になります。

実践のポイント:まず195Hz以下の軸モードを計算機で確認し、最も問題となる周波数から対策を始めましょう。

あなたの部屋の寸法と残響時間を入力して、実際のシュレーダー周波数を計算してみましょう。

この事実は、小部屋の音響対策がなぜ二段構えでなければならないかを明確に示しています。シュレーダー周波数以下の低音域に対しては「定在波対策(ベーストラップなど)」が、それ以上の周波数帯に対しては「反射音制御(吸音・拡散)」が、それぞれ必要となるのです。

1.4. 心理音響学の要因:脳は部屋の音をどう解釈するか

私たちが最終的に「聴く」のは、物理的な音圧変化そのものではなく、脳がそれを解釈した結果です。したがって、人間の聴覚メカニズム、すなわち心理音響学を理解することは、物理的な対策を聴感上の改善に結びつけるための鍵となります。

  • ハース効果(先行音効果):直接音と、それに続いて1~5 ミリ秒(単純なクリック音の場合)または最大40 ミリ秒(複雑な音の場合)以内に到達した反射音は、脳内で時間的に融合され一つの音として知覚されます。この遅延範囲であれば、反射音が直接音より最大10 dB程度大きくても別個のエコーとして認識されません。山でこだまを聞くとき、本当の声とこだまが40 ms以上離れているため別々の音として聞こえますが、部屋の中では反射音が早く届くため一つの音として融合されるのです。
  • 初期時間遅延ギャップ(ITDG):直接音が到達してから最初の反射音が到達するまでの時間差です。このギャップが10~15 ms未満と非常に短い場合、脳は反射音を残響として処理できず、音源の輪郭が滲んで明瞭度が低下します。逆に、20~30 ms程度の適度なギャップがあると、反射音は包囲感を生みつつ直接音の定位を妨げません。
  • 空間印象の知覚(ASW & LEV):リスニングポジションの左右側面から到来する初期反射音は、音場の左右への広がり感(ASW=Apparent Source Width)と強く相関しています。特に低周波成分が強く、左右に非相関な反射があると、音像が広がり豊かな奥行きを感じます。一方、時間的に遅れて到来する拡散的な残響音場は、音に包み込まれる感覚(LEV=Listener Envelopment)や豊かな残響感を生み出します。教会や体育館で音楽を聴いたときの包まれるような感覚、あるいは車の中での密閉感の違いを思い出してください。これらは、それぞれ異なる反射音パターンが生み出す空間印象なのです

聴覚による定位と広がり:ITDとILD

左右に配置された人間の耳は、音が届くタイミングと強さのわずかな差異によって音源の方向や広がりを判断します。例えば、ある音が左耳にわずかに早く到達すると、その音は左側から来ていると認識されます。この耳間時間差(ITD)は頭の幅で最大約0.6 ms程度であり、人間はミリ秒以下の差を検出して左右方向の角度(方位)を推定します。一方、耳間レベル差(ILD)は、音が頭部によって遮蔽されることで生じる左右の音圧差を利用した手がかりです。高周波では頭部が明瞭な「音の影」を作るため、近い耳には大きく、遠い耳には小さく聞こえ、この差が方向決定に役立ちます。低周波では波長が頭のサイズより長いため遮蔽効果が小さく、ILDはあまり利用できません。そのため、低域では主にITD、高域ではILDが定位に使われる。

客観的な心理音響指標:EDT・C80・D50・LF

残響時間以外にも、室内音場の良し悪しを把握するための定量指標がいくつか存在します。

  • Early Decay Time (EDT) – 初期減衰時間。初期反射を含む音エネルギーが10 dB減衰するまでの時間を測る指標で、早く減衰するほど音場が「デッド」に感じられます。オペラのように音声の明瞭さが重要な演目では短めのEDTが望まれ、室内楽や交響曲ではもう少し長めが好まれます。

  • Sound Strength (G) – 部屋の増幅度を表す指標。無反射空間における10 m離れた音源と比べ、指定位置での音エネルギーが何デシベル増減するかを示します。多くの音楽ホールでは0〜+10 dBの範囲に収めることが推奨されます。

  • Clarity (C80) と Definition (D50) – 早期エネルギーと後期エネルギーの比率を評価する指標。C80は最初の80 ms以内の音エネルギーを後期エネルギーと比較し、音楽の細部がどれだけ聞き取れるか(明瞭度)を表します。D50は最初の50 ms以内のエネルギーを総エネルギーと比較し、スピーチの明瞭度を示します。高い値は初期エネルギーが多いことを意味し、オペラや演劇では高いC80/D50が求められる一方、シンフォニーでは適度な混ざり合いを好むためやや低めの値が許容されます。

  • Early Lateral Fraction (LF) – 早期側方エネルギー比。最初の80 msにおいて、リスナーの左右側面から到来する音エネルギーを全方向からのエネルギーで割った値です。値が大きいほど音像が横方向に広がり、包み込まれる感覚(ASWやLEV)が強くなります。一般的には0.05〜0.35の範囲が望ましいとされます。

これらの知見が示すのは、単なる吸音や拡散がゴールではないということです。私たちの真の目的は、有害な反射音(例:5ms以内に到達し音像をぼやかす側壁からの強い反射)は的確に処理し、有益な反射音(例:80ms以降に到達し包囲感を生む後方からの拡散音)はむしろ積極的にデザインすることなのです。これこそが、反射音を「彫刻(スカルプティング)」するということです。


🔍 実践:あなたの部屋の音響問題をチェックしよう

理論を学んだところで、実際にあなたの部屋がどのような音響問題を抱えているかを確認してみましょう。特別な機材は不要です。

🔍 5分音響問題セルフチェック

あなたの部屋の音響問題を簡単にチェックしましょう
👏
フラッターエコーテスト
平行な壁面での音の往復を確認
📝 手順
  1. 部屋の中央付近に立つ
  2. 手を頭上で強く1回手拍子する
  3. 「キンキンキン…」という金属的な響きが聞こえるか確認
  4. 壁に向かって手拍子し、横方向でも確認
💬 結果はいかがでしたか?

📚 次回予告

第1部で「なぜ対策が必要か」を学びました。第2部では、いよいよ「どのような音を目指すべきか」という、改善の羅針盤となる音響目標を設定します。プロが使う設計思想の世界を覗いてみましょう。

【第2部】音響目標の定義:設計思想と国際基準

  • スタジオ設計思想の比較(LEDE、RFZ、制御反射)
  • 残響時間(RT60)の国際規格と用途別推奨値
  • 周波数特性の目標カーブ(Harman Target Curve等)
  • ノイズフロアとダイナミックレンジの重要性

参考文献

基本文献

  1. 石井 伸一郎, 高橋 賢一. (2014). 『改訂増補 リスニングルームの音響学 断然音がよくなる! 視聴ルームの設計・測定・改造法』. 誠文堂新光社.

    • 日本の住環境に特化した実践的指南書
    • 石井式の理論と実践を詳述
  2. Toole, Floyd E. (2008). Sound Reproduction: The Acoustics and Psychoacoustics of Loudspeakers and Rooms. Focal Press.

    • 現代の室内音響学の決定版
    • 心理音響学的アプローチ
  3. Everest, F. Alton. (2014). Master Handbook of Acoustics (6th Edition). McGraw-Hill.

    • 音響工学の包括的参考書
    • 実践的な設計例が豊富

技術論文・資料

  1. White, Glenn D. “Small Room Acoustics De-Mythologized”. AudioControl.
  2. Noxon, Arthur M. (1986). “Room Acoustics and Low Frequency Damping”. AES Convention Paper.
  3. Walker, R. “A Controlled-Reflection Listening Room for Multichannel Sound”. Proceedings of the Institute of Acoustics.

オンラインリソース

  1. Room EQ Wizard (REW)

  2. Acoustic Sciences Corporation

  3. GearSpace (旧GearSlutz)

日本語リソース

  1. ファイ・オーディオ

  2. オーディナリーサウンド

  3. Lo-Fi Audio ブログ


引用文献一覧

1. 究極のオーディオルームをつくりたい【前編】「石井式リスニング …, https://www.daiwahouse.co.jp/tryie/column/view/ishii_listening_room/

2. Small Room Acoustics De-Mythologized - AudioControl, https://www.audiocontrol.com/downloads/tech-papers/tech-paper-107.pdf

3. ルムアコ-1 : Lo-Fi Audio, https://naseba.exblog.jp/28702435/

4. スタジオ音響設計の基礎|日本音響エンジニアリング, https://www.noe.co.jp/technology/16/16std2.html

5. Room Acoustics and Low Frequency Damping (AES-1986) - ASC, https://www.acousticsciences.com/technical-papers/room-acoustics-and-low-frequency-damping/

6. ルムアコ-2 : Lo-Fi Audio, https://naseba.exblog.jp/29002258/

7. ルムアコ-7 : Lo-Fi Audio, https://naseba.exblog.jp/29111775/