ハイエンドオーディオの世界において、「純粋性」という概念は、ある種の聖杯として扱われてきた。最短の信号経路は、果たして最も純粋なのだろうか。あるいは、最も厳格に制御された経路こそが理想郷へと至る道なのではなかろうか。この根源的な問いに対し、一つの極端な回答を突きつける製品が存在する。MSB Technology社のPremier Headphone Amplifier(HPA)である。
MSB Technologyという企業を理解するには、まず彼らがマーケターではなく、徹頭徹尾エンジニアの集団であるという事実を認識せねばならない 1。シリコンバレーを拠点とするこの少数精鋭のチームは、デジタルからアナログへの変換という一点において、ほとんど執念とも言える精度を追求してきた 4。彼らの製品群において、このPremier HPAは独立したコンポーネントとして存在するのではない。それは、同社が築き上げた独自のオーディオ・チェーンにおける、不可分かつ最終的な環(わ)として、いわば社内的な必要性から生み出された存在なのである 5。
本稿で探求するのは、このPremier HPAが体現する一つのパラドックスだ。それは、完全なシステム・シナジーによってのみ到達しうる音響的頂点への証でありながら、その設計思想そのものが自らの墓碑銘を刻んでしまったという、オーディオ史における美しくも悲劇的なアーティファクトの物語である。虚飾を排し、ただ一点の純粋性を追求した先に、何が生まれ、そして何が失われたのか。その功罪を、冷静に紐解いていきたい。
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MSB Premier Headphone Amplifier — Overview
- メーカー: MSB Technology 6
- 型番: The Premier Headphone Amplifier 6
- 発売時期: 2021年11月(日本国内) 7
- 価格帯:
- 現状: 生産完了品 5。この事実は、本機を評価する上で重要な前提となる。
主要スペック
仕様項目 | 値 | 出典 |
---|---|---|
トポロジー | クラスA、ゼロ・ネガティブフィードバック、完全バランス、トランス結合 | 7 |
ダイナミックレンジ | >134dBA | 9 |
周波数特性 | 20Hz−20kHz±0.3dB | 9 |
クロストーク | <−110dB@1kHz | 9 |
最大出力 (@1% THD+N) | 4.06W@32Ω, 3.87W@45Ω | 9 |
ヘッドホン出力インピーダンス | 40Ω | 9 |
入出力端子 | XLRアナログ入力 x1, XLRアナログ・パススルー出力 x1, 4ピンXLRヘッドホン出力 x1, 6.35mmヘッドホン出力 x2 | 9 |
寸法 (W x H x D) | 432×62×305mm | 9 |
重量 | 14kg | 9 |
1. 幽玄なる谺(こだま):コミュニティ評決の統合
MSB Premier HPAに関する、確立されたメディアによる詳細なプロフェッショナル・レビューは、残念ながら存在しない。これは本機が極めてニッチな製品であったことの証左であろう。したがって、ここでの分析は、熱心なオーディオファイルが集うフォーラムやSNS上に残された、いわば「オーディオファイルたちの民俗学的記録」を統合し、再構築する試みとなる。各々の発言には、所有者ならではの熱意や確証バイアスが内在する可能性を念頭に置きつつ、その評価の重みを慎重に吟味する必要がある。
肯定的な評価の多くは、経験豊富なユーザーによるものだが、そのほとんどがMSBのDACとの組み合わせを前提としている。これは、本機が単体で評価されるべきコンポーネントではないことを暗に示している。しかし、その一方で、X(旧Twitter)ユーザー@Thinking_Audio氏による「本当に良いアンプで、正直これで十分だと思う」という評価は、この単純な結論に一石を投じる。このコメントは、必ずしもMSBのエコシステム内に限定されない、本機単体の潜在能力を示唆する貴重な証言と捉えることもできるだろう。それは、本機の真価が、エコシステムの内外という二元論では語り尽くせない、より複雑なものであることを物語っているのかもしれない。
同様に、フォーラムでの「市場のほとんどのヘッドホンアンプを上回る」といったプロトタイプへの言及や、「素晴らしい音質」という感想も、その熱狂の源泉がアンプ単体の性能なのか、それともDACとの完璧なシナジーによるものなのかを切り分けるのは困難である。これらの評価は、製品への期待感を煽る「パフピース」としての側面も否定できないが、一貫して高い音質評価がなされている点は事実として受け止めるべきだろう。
メディア | 引用抜粋 (和訳+原文) | 評価点 |
---|---|---|
X (Twitter) | 「Premier HPAは本当に良いアンプで、正直これで十分だと思う」 / “The Premier HPA is a really good amp, and honestly I think it’s enough.” | ★★★★☆ |
What’s Best Forum | 「市場のほとんどのヘッドホンアンプを上回る」 / “outperforms most headphone amps on the market” (プロトタイプへの言及) | ★★★★☆ |
AudioShark Forums | 「素晴らしい音質」 / “Awesome sounding…” | ★★★★☆ |
ブログ (万策堂) | 「ヘッドホンオーディオの未来からの招待状」 / “An invitation from the future of headphone audio” (プロトタイプへの言及) | ★★★☆☆ |
集計: 調査した主要なコミュニティでの言及は少数に限られるが、その評価はほぼ例外なく肯定的である。否定的な意見は皆無に等しい。しかし、これらの肯定的な評価の多くは、MSBのDACとの組み合わせという、限定的な条件下で成立しているという共通項を持つ。これは本機の性能を語る上で、決して無視できない前提条件と言える。
2. 必然から生まれる形態 — 技術と設計思想
Premier HPAを理解するには、まずその製造元であるMSB Technologyの哲学に触れなければならない。彼らの製品は、単なる電子機器ではなく、技術的探求の結晶であり、機能的必然性から生まれた芸術品とも言えるからだ。
MSBという思想
シリコンバレーの中心部、ワトソンビルに拠点を置くMSBは、CEOで電気技術者のJonathan Gullman氏と、その兄弟で機械設計を担当するDaniel Francis氏によって率いられている 1。彼らのアプローチは、マーケティング部門が製品を定義する多くの企業とは一線を画す。「我々の製品は、我々が生み出す新しい技術から進化する」という言葉通り、彼らは純粋な技術的好奇心と、業界の限界を押し広げたいという情熱に突き動かされている 3。
その哲学は、製品のモジュール構造や、CNC加工から回路設計までを自社で行う垂直統合型の製造プロセスに色濃く反映されている。これは、外部要因に性能を左右されることなく、設計者が意図した通りの品質を保証するための、必然的な選択なのである。
回路構成 — 純粋性への探求
Premier HPAの内部回路は、信号の純度を絶対的な優先事項とするMSBの哲学を体現している。
-
ゼロ・ネガティブフィードバック、純A級設計: 本機は「ゼロ・ネガティブフィードバック、高電圧、電流モード回路」を採用している 7。負帰還(NFB)は、歪率などのスペックを容易に改善できる一方で、信号に微細な遅延や位相歪みを生じさせ、音楽の生命感を損なう可能性がある。NFBを排した設計は、素子の性能と回路の巧みさが直結する、より困難な道だが、MSBは信号の鮮度を保つために敢えてこの道を選んだ。純A級動作と組み合わせることで、最もリニアリティの高い領域でトランジスタを動作させ、クロスオーバー歪みを原理的に排除している。
-
完全バランス構成とエコシステムへの帰結: 回路はXLR入力から4ピンXLR出力まで、完全なバランス構成を貫いている 7。これは、伝送路上で混入する同相ノイズをキャンセルし、広大なダイナミックレンジを維持するための理想的な手法だ。そして、この設計こそが、Premier HPAをMSBエコシステムに固く結びつける核心である。本機の入力は「75Ωまたは150Ωのバランスソースに最適化」されており、これはMSB製DACの出力インピーダンスと完全に一致する。
この「MSB製DAC専用」という制約は、単なるマーケティング戦略ではない。前述の通り、同社スタッフは「3.57Vを超える入力電圧は、高価な内部部品を破壊する」と明言している 5。MSBのDACは最大出力が3.57Vrmsに設計されており 5、このアンプはまさにその信号を受け取るために生まれてきたのだ。これは、MSBが自社のパワーアンプで採用している「インピーダンスを整合させた入力により、DACから最大の信号伝達を得る」という思想と完全に一致する 14。入力段の回路を一部省略できるほど最適化された信号経路は、ノイズと歪みを最小化するための究極のソリューションと言える。つまり、Premier HPAは、柔軟性を犠牲にすることで、システム全体を一つの楽器として調律し、究極の純度を達成するという、MSBの哲学の結晶なのである。
物理的構造 — 機能の彫刻
Premier HPAの筐体は、その音質を支えるための機能的な基盤である。
- CNCユニボディシャーシ: 筐体はアルミニウムの塊から自社工場で削り出される 7。これは単なる贅沢ではない。高い剛性で微細な振動を排除し、同時に筐体全体を巨大なヒートシンクとして機能させるための、合理的な設計だ。発熱の大きい純A級アンプを安定動作させるために、実に12,000平方インチ(約7.75平方メートル)もの放熱面積を確保している 11。
- 電源とシールドの徹底: ノイズ対策への執念は、内部構造に顕著に表れている。カスタム巻き線の低ノイズ・シールドトランスは、さらにミューメタルで内張りされた専用の削り出しポケットに格納される。Lundahl製のカスタム出力トランスもまた、個別の削り出しキャビティに収められ、繊細な入力回路から物理的に隔離されている 7。この徹底した区画化とシールドは、「超低ノイズフロア」という設計目標を物理的に実現するための、必然的な帰結なのである。
競合製品との比較
Premier HPAの特異性を理解するために、同価格帯の競合製品と比較してみよう。この比較は、各メーカーがどのような哲学に基づき、どのようなトレードオフを選択しているかを浮き彫りにする。
特徴 | MSB Premier HPA | dCS Bartok 2.0 (w/ Headphone Amp) | Chord Hugo TT 2 | Niimbus US 5 Pro |
---|---|---|---|---|
機能性 | 純粋なアナログアンプ | DAC, Streamer, Preamp, Headphone Amp | DAC, Preamp, Headphone Amp | Preamp, Headphone Amp |
価格 (USD) | $9,950 | 約 $20,000+ | 約 $6,000 | 約 $6,500 |
主要回路 | 純A級, ゼロNFB, 電流モード | dCS Ring DAC™, 純A級アンプ, アップデート可能なマッパー | FPGA DAC (WTAフィルター), A/B級アンプ, スーパーキャパシタ | 純A級(プリゲイン段), 4基の強力なアンプ, 60Vレール |
出力 (32Ω) | 4.06W | 1.4W | 2.7W (アンバランス) | 約7W (50Ω時) |
出力 (300Ω) | 約0.6W (推定) | 600mW (バランス) | 288mW (アンバランス) | 約1.7W (推定) |
主要な特徴 | MSB製DACとの完全なシナジー | ネットワークストリーミング, ソフトウェアの柔軟性 | M Scalerとの互換性, 独特のサウンド | 圧倒的な駆動力と中立性, 豊富な入出力 |
設計思想 | 閉じた生態系, システム制御による純度 | デジタル技術の支配, ソフトウェアもコンポーネント | 独自のデジタル変換, パワーと可搬性 | プロオーディオの精度, 「玩具でなく道具」 |
出典 | 9 | 18 | 20 |
3. 音の刻印:現場からのリスニング・インプレッション
本章はユーザーレポートと、本機がその性能を十全に発揮するために設計された音源――すなわちMSB製DACの音質的特徴――から、そのサウンド・シグネチャーを注意深く推察する試みとなる。
まず、散見されるユーザーの声を統合してみよう。
レビュアー / 媒体 | 引用抜粋 (和訳+原文) |
---|---|
“Cincy2” / AudioShark | 「この組み合わせは、私が今まで経験した中で最高のヘッドホンサウンドでした。静電型ヘッドホンとの相性が良く、最も自然な中高域を提供してくれました。」 / “The combination was the best headphone sound I ever experienced. It worked well with electrostatic headphones that already provide the most natural mid range and higher frequencies.” (MSB Select HPAに関する言及) |
“CKKeung” / What’s Best Forum | 「その二人の兄(ReferenceとDynamicモデル)を除けば、市場のほとんどのヘッドホンアンプを上回ると言われています。」 / “It is said to outperform most headphone amps on the market except its two bigger brothers.” |
@Thinking_Audio / X | 「FocalのUtopia SGとMSB Premier HPAは、スピーカー界隈でも納得の価格対性能比を持つ」 / “Focal’s Utopia SG and MSB Premier HPA have a price-to-performance ratio that would be convincing even in the speaker world.” |
これらの断片的ながらも熱烈な賛辞は、本機が並外れた音楽的表現力を秘めていることを示唆している。特に、上位モデルであるSelect HPAを評した「最高のヘッドホンサウンド」という言葉は、MSBのヘッドホンアンプが目指す音の方向性を知る上で重要な手がかりとなる。
推察されるサウンド・シグネチャー
Premier HPAの音を理解するには、その源流であるMSB製DACの音を知る必要がある。MSBのDACは、dCSの持つ分析的な透明感とは対照的に、「自然でオーガニックな流れ」「良質なアナログレコードのよう」「よりスムーズで有機的」と評されることが多い 12。それは、極めて高い解像度を持ちながらも、決して分析的にはならず、音楽の持つ生命感や感情の機微を豊かに描き出すサウンドである。
Premier HPAは、そのゼロ・フィードバック、クラスAという純粋主義的な設計思想から、このDACの声を一切の脚色なく、最大限の権威と最小限の作為でスピーカー(この場合はヘッドホン)に届けるための、完璧に透明なレンズとして機能するよう設計されているはずだ。それは自らの色を持たず、ただひたすらにソースの魅力を引き出すことに徹する、黒子のような存在なのではなかろうか。
ジャンル別パフォーマンス(推論)
- クラシック: 本機の極めて低いノイズフロアと広大なダイナミックレンジは、漆黒の静寂の中から音が立ち上る様をリアルに描き出すだろう 9。ピアニッシモの微細なニュアンスから、オーケストラの爆発的なクレッシェンドまで、一切の淀みなく再現する。MSB DACの持つ「オーガニックな流れ」は、弦楽器や木管楽器の音色に生命感あふれる自然な響きをもたらすに違いない。
- ジャズ: クラスA動作ならではの即時性と電流駆動能力は、シンバルやブラスの鋭いアタック、ウッドベースの胴鳴り、サックスの倍音豊かなテクスチャーといった、ジャズ特有の過渡応答と質感を余すところなく捉えるだろう。そのサウンドステージはホログラフィックであり、各プレイヤーの位置関係が手に取るようにわかる、生々しい空間を現出させるはずだ。
- EDM / ロック: 32Ωでを超える大出力と、負荷に依存しない安定した駆動能力は、これらのジャンルで多用される駆動の難しい平面磁界型ヘッドホンを、いともたやすく、そして完全に掌握することだろう 9。深く沈み込み、かつテクスチャー豊かなベースラインを、一切の膨らみや歪みなく描き切る。その静寂の中から立ち上る音の粒子は、まさに設計者が目指したであろうS/N比の高さを物語っている。
4. 厳正なる評価:バランスシートの作成
ここからは、記述的な分析から一歩進み、5つの評価軸に沿って本機を厳しく採点していく。これは、その絶対的な性能と、市場における相対的な価値との間に横たわる、深い溝を浮き彫りにする試みである。
評価軸 | 採点 (5点満点) | 解説 |
---|---|---|
技術性能 (Technical Performance) | ★★★★☆ | クラスA、ゼロNFB、ユニボディ構造など、純粋主義的なエンジニアリングの傑作。究極のシナジーという目標を技術的に達成している。星を一つ減じたのは、ボリューム・コントロールの不在と入力電圧への脆弱性という、自ら課した致命的な柔軟性の欠如による。これは現実世界における、明らかな性能的制約である。 |
音楽的魅力 (Musical Charm) | ★★★★★ | 少数ながらも普遍的なユーザーからの賞賛と、その源流であるMSB製DACの卓越した音楽性を鑑み、本機の音楽的表現力は世界最高水準にあると推察される。有機的で、解像度が高く、深く心に響く。音楽そのものを語らせることに徹した設計は、音楽的魅力の最も高貴な形態と言える。 |
ビルドクオリティ (Build Quality) | ★★★★★ | 非の打ち所がない。CNC削り出しのユニボディ・シャーシは、コストを度外視したインダストリアル・デザインの頂点である 11。内部の区画構造、シールド、Lundahlトランスといった部品選定に至るまで、一切の妥協は見られない。それは機能的な彫刻作品と呼ぶにふさわしい。 |
価格対価値 (Price vs. Value) | ★★☆☆☆ | 最も議論を呼ぶ点であろう。高額な初期投資に加え、さらに高価なMSB製DACの購入が前提となる 9。その価値は、ごく一握りのユーザーにしか理解されないだろう。生産完了品であるという事実 5 は、長期的な資産価値に影を投げかける。 |
将来性 / 修理性 (Future-Proofing / Serviceability) | ★★☆☆☆ | 純粋なアナログアンプとして、その中核機能は時代を超越するが、製品はすでに生産完了している 5。MSBは10年間の製品サポートを謳っているが 15、楽観視はできない。今や購入したその日から、レガシー製品となる運命にある。 |
5. 純粋主義者の賭け:エコシステム、イデオロギー、そしてエピローグ
Premier HPAという製品を真に理解するためには、その背景にあるMSBという企業のDNA、彼らのイデオロギー、そして市場における立ち位置を俯瞰的に分析する必要がある。
MSBは、マーケティング部門ではなく、エンジニアが主導権を握る、家族経営の小規模な企業である 1。彼らの原動力は、市場の需要に応えることよりも、自らが設定した技術的課題を克服することにある。Premier HPAは、このDNAの論理的、しかし最終的には破綻を運命づけられた帰結と言える。それは元々、自社製DACの性能を評価するための社内ツールとして開発され、その並外れた性能ゆえに市場に投入されたものだったのだろう 5。初めから、NiimbusやWoo Audioのような普遍的な製品と、同じ土俵で競争することなど意図されていなかったのだ。それはあくまで、MSBのエコシステムを完成させるための「アクセサリー」だったのである。
必然の生産完了
では、なぜこれほどまでに優れた性能を持つ可能性を秘めた製品が、かくも早く市場から姿を消したのか。その理由は、複合的だが合理的である。
第一に、コンポーネントの調達問題。これは旧世代の製品で指摘されている理由だが、近年の製品であるPremier HPAには必ずしも当てはまらないかもしれない 15。第二に、企業の戦略的転換。MSBは過去に、中核技術であるDACとアンプに集中するため、CDトランスポート事業から撤退した歴史を持つ 16。第三に、そして最も決定的な理由が、市場の現実である。ハイエンド・ヘッドホン市場は、関係者が「気まぐれ(fickle)」と評するように、流行の移り変わりが激しい 5。
9,000を超える価格のアンプに、さらに20,000以上の同社製DACを要求するシステムの市場規模は、天文学的に小さい。
わずか15名のチームにとって 15、この極めてニッチな製品ラインを維持するための開発・サポートコストと、そこから得られるリターンは、到底見合うものではなかった。そのリソースを、次世代の主力製品であるCascadeやSentinelといったDACの開発に注力するのは、企業として当然の経営判断と言えよう。
結論として、Premier HPAは、すでに99%完成されたシステムの「エンドゲーム」ピースである。それは、システム構築の出発点となるコンポーネントではなく、MSB製DACを中心に構築されたシステムを完成させるための、最後の、そして究極の戴冠宝器なのである。
6. 終楽章:結論と推奨されるユーザー
MSB Premier Headphone Amplifierは、二律背反を内包した存在である。それは、金色の鳥籠に閉じ込められた、音の奇跡だ。深遠なる信念から生まれたこの製品は、オーディオの理想郷を垣間見せる一方で、そのエコシステムへの完全なる忠誠を要求する。
推奨したいユーザー
- MSBのPremier、Discrete、あるいはReference DACを所有し、主にダイナミック型または平面磁界型ヘッドホンで音楽を聴くユーザー。そして、自らが所有するDACを設計したエンジニア自身による、究極のシナジーを持つ増幅ソリューションを、コストを度外視してでも手に入れたいと願う者。生産完了品という「レガシー」な性質を理解し、その唯一無二の性能のために投資を惜しまない、真の求道者。
避けるべきユーザー
- 上記以外の、文字通りすべての人々。 MSB製DACを持たない者。柔軟性を求める者。プリアンプ機能が必要な者。長期的なサポートや再販価値を気にする者。そして、閉鎖的なシステムの純粋性よりも、オープンな相互運用性を重んじるオーディオ哲学を持つ者。
将来性
- ファームウェアの更新も、改造の可能性もない。また、入力段の繊細さを考慮すると、改造は極めて非現実的であり、保証を無効にするだろう。このアンプの設計は、完成されており、絶対的なものである。
総合評価: ★★★☆☆(3.5 / 5)
この評価は、本機がその意図された文脈においては五つ星の性能を発揮するであろうことを認めつつも、その柔軟性の欠如とニッチ市場の中のさらにニッチという位置づけ、そして生産完了という事実が、より広いオーディオファイルコミュニティに対する全体的な適用性と価値提案を著しく制限している点を反映したものである。それは、選ばれし者のための、孤高の傑作なのである。
参考文献 / 参照リンク
引用文献
1. MSB Technology | verovoceaudiosystems, 7月 30, 2025にアクセス、 https://www.verovoceaudio.com.au/msb-technology
2. About MSB, 7月 30, 2025にアクセス、 https://msbtechnology.com/about-msb/people/
3. AN EXCLUSIVE INTERVIEW WITH THE MSB TECHNOLOGY - Mono & Stereo, 7月 30, 2025にアクセス、 https://www.monoandstereo.com/an-exclusive-interview-with-the-msb-technology/
4. About MSB - MSB Technology, 7月 30, 2025にアクセス、 https://msbtechnology.com/about-msb/
5. NEW* MSB Premier Headphone Amp | AudioShark Forums, 7月 30, 2025にアクセス、 https://www.audioshark.org/threads/new-msb-premier-headphone-amp.20388/
6. MSB Technology Premier Headphone Amplifier - OvertureAV.com, 7月 30, 2025にアクセス、 https://www.overtureav.com/product/the-premier-headphone-amplifier/
7. MSB Technology、音質のために贅を尽くしたヘッドホンアンプ …, 7月 30, 2025にアクセス、 https://online.stereosound.co.jp/_ct/17495596
8. MSB、ゼロNFB・クラスA駆動のヘッドホンアンプ「Premier Headphone Amplifier」 - PHILE WEB, 7月 30, 2025にアクセス、 https://www.phileweb.com/sp/news/audio/202111/12/22906.html
9. MSB Technology Premier Headphone Amplifier - Scott Walker Audio, 7月 30, 2025にアクセス、 https://scottwalkeraudio.com/store/msb-technology-premier-headphone-amplifier/
10. アクシス、MSBテクノロジー社の製品価格を12月1日より改定。昨今のドル/円為替レートの円安基調や物流経費の高騰を受け - Stereo Sound ONLINE, 7月 30, 2025にアクセス、 https://online.stereosound.co.jp/_ct/17666534
11. The Premier Headphone Amplifier Support - MSB Technology, 7月 30, 2025にアクセス、 https://msbtechnology.com/amplifiers/the-premier-headphone-amplifier-support/
12. MSB Premier DAC Review - Sonvs Apparatvs, 7月 30, 2025にアクセス、 https://www.sonusapparatus.com/2023/11/msb-premier-dac-review/
13. dCS Bartok versus MBS Discrete DACs? - What’s Best Forum, 7月 30, 2025にアクセス、 https://www.whatsbestforum.com/threads/dcs-bartok-versus-mbs-discrete-dacs.39716/
14. MSB Technology Premier Headphone Amplifier - Suncoast Audio, 7月 30, 2025にアクセス、 https://www.suncoastaudio.com/products/msb-technology-premier-headphone-amplifier
15. Reference is discontinued - General - MSB Technology | Forum, 7月 30, 2025にアクセス、 https://forum.msbtechnology.com/t/reference-is-discontinued/257
16. CD Transports: End of an era. - MSB Technology, 7月 30, 2025にアクセス、 https://msbtechnology.com/discontinued_transports/
17. MSB Technology | Music as it was meant to be heard., 7月 30, 2025にアクセス、 https://msbtechnology.com/
18. dCS Lina Headphone Amplifier Review — Headfonics, 7月 30, 2025にアクセス、 https://headfonics.com/dcs-lina-headphone-amplifier-review/
19. Bartok or Lina? - dCS Community, 7月 30, 2025にアクセス、 https://dcs.community/t/bartok-or-lina/4341
20. Niimbus US 5 PRO | Headphone PreAmps | Products | Violectric, 7月 30, 2025にアクセス、 https://www.violectric.de/en/products/headphone-preamps/niimbus-us-5-pro
21. Violectric Niimbus US 5 Pro Headphone Amplifier Review …, 7月 30, 2025にアクセス、 https://stereonet.com/reviews/violectric-niimbus-us-5-pro-headphone-amplifier-review