音楽再生という行為は、突き詰めれば「無」から「有」を生み出す芸術である。漆黒の静寂から、いかにして音の粒子を立ち上らせ、実在感のある響きとして再構築するか。オーディオ機器の命題は、この一点に集約されると言っても過言ではあるまい。日本のfinal社が2025年に発表した新たなフラッグシップIEM(インイヤーモニター)、A10000は、この根源的な問いに対し、素材科学と精密工学の粋を結集させた、極めて純粋主義的な回答を提示している。
それは、単なる高性能イヤホンではない。現代のハイエンドオーディオ市場が突き進む「多ドライバー化」という潮流に敢然と背を向け、単一のドライバーユニットを物理法則の限界まで磨き上げることでしか到達し得ない領域を目指した、一つの思想的表明である。本稿では、このA10000が内包する技術的特異点、それがもたらす音響体験、そして競合ひしめく市場におけるその存在意義を、多角的に分析・考察していく。
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final A10000 — Overview
- メーカー / 型番: final Inc. / A10000 (FI-A10SUSD)
- 発表日: 2025年4月4日 2
- 発売日: 2025年8月29日 (当初の6月予定から素材調達の問題で延期) 2
- 価格帯:
主要スペック
- 筐体: ステンレス切削筐体(コート・ド・ジュネーブ仕上げ)
- ドライバー: ダイナミック型(トゥルーダイヤモンド振動板)
- インピーダンス: 13 Ω
- 感度: 99 dB/mW
- 質量: 63 g
- ケーブル: ePTFE被膜シルバーコートOFCケーブル、1.2m、4.4mm 5極バランスプラグ
- コネクター: 高精度MMCX
1. 第三者評価の潮流
A10000は発表直後から、オーディオ専門メディアやコミュニティで大きな注目を集めた。その評価の潮流を概観することは、本機の客観的な位置づけを理解する上で不可欠であろう。
メディア | 引用抜粋 (和訳+原文) | 評価点 |
---|---|---|
Audio46 | 「final A10000は、高周波チューニングと技術的ディテールの最高傑作だ。低音愛好家のためのIEMではない…」”The Final Audio A10000 is a masterclass in high-frequency tuning and technical detail. It’s not a bass-lover’s IEM…” 12 | ★★★★☆ |
Major HiFi | 「中音域こそがA10000の輝く場所だ。そこから聴こえるすべてが、信じられないほど透明である」“The midrange is where the A10000 shines. Everything that comes through… is incredibly transparent.” 8 | ★★★★☆ |
e-earphone Blog | 「究極の普通」…ものすごく低音の精度があることです。 13 | ★★★★★ |
e-earphone (YouTube) | 歪みが全く感じないクリアな感じ…圧倒的に低い音が聞こえるんですね。 14 | (評価なし) |
DrHead.ae | 「…バスドラムが鳴った瞬間、この曲から何年も感じたことのなかった鳥肌が立った」“…the moment the bass drum kicks in gave us goosebumps we hadn’t felt from this track in years.” 15 | (肯定的) |
はてなブログ ユーザー | 「全ての音源を無色透明かつ忠実に再現、最上級の体験を提供する化け物でした。」 16 | (肯定的) |
Reddit ユーザー “Beany51” | 「…従来のA8000よりもスムーズなサウンドでありながら、特に100Hz以下の周波数でさらに低い歪みを持つだろう」“…smoother than their previous A8000 whilst also have even lower distortion especially in frequencies under 100hz.” 17 | (推測) |
集計とバイアス分析
現時点での評価を総合すると、圧倒的多数がA10000の革命的な透明度、解像力、そして分離感を称賛している。高域は伸びやかで空気感に富み、中域は極めて明瞭。対照的に、低域はその「量」や「衝撃」ではなく、「質感」と「精度」で評価される傾向が強い 8。これは、A10000が分析的、あるいはニュートラルな性格を持つことを示唆している 12。
しかし、これらの初期レビューには注意が必要である。多くがオーディオ専門店(Audio46, Major HiFi)や、展示会での短時間試聴に基づいているため 16、メーカー提供サンプルによる好意的なバイアス、いわゆる「パフピース」である可能性を否定できない。Crinacle氏やAudio Science Reviewのような独立した測定データがまだ存在しない現状では 18、現在のコンセンサスは「第一印象」として慎重に受け止めるべきだろう。Head-Fiのようなフォーラムで散見される「新型フラッグシップ」への熱狂も、その評価に影響を与えているかもしれない 20。
この状況下で、ほぼ全てのレビューで一貫して指摘される「一部のジャンルには不向きな、控えめな低域」という点は、逆に高い信憑性を持つ。それは、初期の熱狂的な評価に反するネガティブな要素でありながら、誰もが認めざるを得ない本質的な特徴だからに違いない。
2. 結晶の設計思想:技術的背景
A10000の音響特性は、偶然の産物ではない。それは、finalという企業が長年培ってきた哲学と、素材の物理的特性から論理的に導き出された、必然的な帰結である。
finalの系譜と哲学
finalの歴史は1974年、故・高井金盛氏によって創設されたハイエンドオーディオ工房に遡る 1。その最初の製品は、1カラットのダイヤモンドをカンチレバーとして用いた画期的なフォノカートリッジであった 1。この「素材のポテンシャルを極限まで引き出すことで、音響の根本問題を解決する」という思想は、2007年以降のS’NEXT社、そして現在の株式会社finalへと脈々と受け継がれている 1。
同社が掲げるのは、「機械式腕時計のように、アンティークとして将来価値を持つようなものづくり」である 22。使い捨ての電子機器ではなく、永く愛用される工芸品としての価値。この哲学が、A10000の素材選定から構造設計に至るまで、あらゆる側面に色濃く反映されている。
ダイヤモンド振動板という到達点
A10000の技術的核となるのが、「トゥルーダイヤモンド振動板」を搭載した新開発のドライバーユニット(DU)である。
- 素材の選択: 振動板には、一般的なDLC(Diamond-Like Carbon)コーティングや蒸着ダイヤモンドとは一線を画す、純粋なダイヤモンド箔が採用されている。これは、シリコンウェハー上にダイヤモンドを結晶化させ、後にシリコン基板のみを溶解して取り出すという、極めて高度な製法によって生み出される「トゥルーダイヤモンド」である 7。
- 物理的帰結: ダイヤモンドが持つ極めて高い剛性と音速は、振動板の分割振動(変形)を最小限に抑え、歪みを劇的に低減する。特に100Hz以下の低周波数帯域における歪み率は、従来モデルの100分の1以下という驚異的な数値を達成した 7。しかし、その代償として、ダイヤモンドはベリリウムの約2倍という高い比重を持つ 11。この「重さ」が、次なる技術的課題を生んだ。
- 課題の克服: 振動板の質量を適切に制御するため、finalは軽量かつ高い弾性を持つ特殊なポリウレタン製エッジ(サラウンド)を新開発した。これにより、重い振動板を正確にピストンモーションさせつつ、エッジ自体が不要な共振を起こすという問題を解決したのである 7。さらに、ドライバーの組み立てには接着剤を一切使用せず、圧空成形と熱成形を組み合わせた独自の技術で分子レベルの結合を実現。これにより、接着剤の塗布量による個体差という根本的な問題を排除している 7。
時計製造技術の応用
A10000の筐体は、単なるステンレスの塊ではない。その表面には、高級機械式時計のムーブメントに見られる「コート・ド・ジュネーブ」と呼ばれる波状の精密な切削加工が施されている 7。
これは単なる装飾ではない。公式資料によれば、この加工法は鏡面研磨仕上げと比較して、切削面そのものが最終的な寸法となるため、より高い寸法精度を実現するという 7。ダイヤモンド振動板のような高剛性・高質量のドライバーは、筐体の微細な共振に極めて敏感である。それを完璧に支持し、不要な振動を抑制するためには、絶対的な剛性と精度が求められる。つまり、コート・ド・ジュネーブという美しい仕上げは、音響的な精度を追求した結果生まれた「機能美」なのである。この必然性から生まれる美しさこそ、我々が追い求めるべき機械の理想像ではなかろうか。
さらに、筐体の組み立てに接着剤ではなくネジ止めを採用している点も、この哲学を裏付けている。ネジによる強固な締結力は共振を抑制するだけでなく、長期的な修理を可能にする。これは、製品を永続的な価値を持つ工芸品と見なすfinalの思想そのものである 7。
競合製品とのスペック比較
A10000の純粋主義的なアプローチは、競合製品と比較することで一層鮮明になる。
モデル | ドライバー構成 | 振動板/主要技術 | インピーダンス | 感度 | 筐体素材 | 価格 (USD) |
---|---|---|---|---|---|---|
final A10000 | 1x ダイナミック | トゥルーダイヤモンド | 13 Ω | 99 dB/mW | ステンレス | ~$2,700 9 |
Sennheiser IE 900 | 1x ダイナミック (7mm) | XWB, ヘルムホルツ共鳴器 | 16-18 Ω | 123 dB/Vrms | アルミニウム削り出し | $1,499 25 |
DITA Perpetua | 1x ダイナミック (12mm) | TEONEX® (PEN) | 20 Ω | 108 dB/mW | チタン | $2,999 27 |
Sony IER-Z1R | ハイブリッド: 2x DD + 1x BA | Mgドーム + AlコートLCP | 40 Ω | 103 dB/mW | ジルコニウム合金 | $1,699 29 |
Empire Ears ODIN | トライブリッド: 2x DD + 5x BA + 4x EST | W9+ Subwoofers, EIVEC | 3 Ω | 108 dB/mW | アクリル | $3,399 31 |
Vision Ears PHönix | 13x バランスド・アーマチュア | 5ウェイ・クロスオーバー | 13 Ω | 125 dB/100mV | カーボンファイバー | $4,200 33 |
Subtonic STORM | ハイブリッド: 2DD + 5BA + 2EST | SLAMドライバー (BA改) | (非公開) | (非公開) | チタン | $5,200 35 |
Oriolus Traillii JP | ハイブリッド: 8x BA + 4x EST | 3ウェイ・クロスオーバー | 21 Ω | 112 dB/mW | フォトポリマー樹脂 | $6,149 37 |
この表が示すのは、A10000の孤高とも言える立ち位置である。競合がドライバーの数を競い合う中で、finalはただ一つ、しかし究極のドライバーで勝負を挑んでいる。これは、純粋性と複雑性の思想的対立に他ならない。
3. 音の顕微鏡:リスニング・インプレッション
技術的背景を理解した上で、いよいよA10000が紡ぎ出す音の世界に耳を傾けてみよう。理論が聴覚体験へと昇華される瞬間である。
レビュアー / 媒体 | 引用抜粋 (和訳+原文) |
---|---|
Delaney Czernikowski / Audio46 | 「A10000のサウンドステージはIEMの基準では広大だ――深みはリアルで、幅は中程度…精緻にレイヤー化され、楽器が明確な空間を占めることを可能にしている」“The soundstage on the A10000 is expansive by IEM standards—realistic in depth and moderate in width… finely layered, allowing instruments to occupy well-defined spaces.” 12 |
Major HiFi | 「低域は非常にニュートラルな外観を持つ…そのパワーは不足している…すべてはクリーンに聴こえるが、振動は限定的だ」“The bass has a very neutral appearance… its power is lacking… Everything sounds clean, but vibrations are limited.” 8 |
e-earphone Blog | 「上下の奥行き感が、今までにないレベルで感じられました…その圧倒的な低音の描写能力があるにも関わらず、中音域、高音域が埋もれるような感覚が無く…」 13 |
音質特徴の統合分析
- 静寂と空間表現: A10000の最も際立った特徴は、「無音の表現力」にある。超低歪みという特性は、音そのものだけでなく、音と音の「間」にある静寂を際立たせる 7。これにより生まれるサウンドステージは、必ずしも左右に最も広いわけではないかもしれない(Major HiFiは幅は広いが上下はフラットだと指摘している 8)。しかし、その奥行きとレイヤーの精緻さは比類がない 12。特にe-earphoneのレビューが指摘する「上下の奥行き感」は、このイヤホンが描き出す空間の特異性を物語っている 13。音楽に生命を吹き込む微細な音量の変化、すなわちマイクロダイナミクスの再現性において、A10000は驚異的な能力を発揮する。
- クラシック: まさにA10000が最も輝くジャンルであろう。卓越した分離性能は、複雑なオーケストラのパッセージを一つ一つの楽器に至るまで明瞭に描き分ける 8。伸びやかで空気感に満ちた高域は、弦楽器セクションのテクスチャーやシンバルの煌めきを、一切の刺々しさなく再現する 8。そして、意図的に抑制された低域は、チェロやコントラバスの響きが混濁するのを防ぎ、量感よりも音色そのものの美しさを際立たせる。
- ジャズ: アコースティック・ジャズとの相性も抜群である。中音域の透明感は、ボーカル、ピアノ、金管楽器の音色をありのままに伝えるのに理想的だ 8。速く、質感豊かな低域は、ウッドベースの繊細なニュアンスを描き出すのに適しているが、一部のリスナーが好むような暖かみには欠けるかもしれない。高域の表現力は、ライドシンバルやハイハットの刻みを、まるで目の前で演奏されているかのように生々しく響かせる 12。
- EDM / ロック: ここでA10000の専門性が、ある種の「弱点」として露呈する。サブベースの衝撃や、身体を揺さぶるような低音の圧力が不可欠なジャンルでは、そのサウンドは分析的で、ともすれば痩せて聴こえるだろう 8。スピード感や明瞭さは見事だが、これらの音楽が本来持つべき、原始的なエネルギー感やパワーの表現には向いていない。
- ボーカル: ボーカル、特に女性ボーカルは、前方定位で高い解像度をもって明瞭に描かれる 12。ただし、一部のレビューでは「僅かに人工的なエッジ」や「豊潤さよりも精度を優先」といった指摘も見られる 12。これは、技術的には完璧でありながらも、情緒的な暖かみとは少し異なる方向性の音色であることを示唆しているのかもしれない。
4. 価値の査定
A10000の価値を判断するには、単一の物差しでは不十分である。その客観的な性能と、主観的な魅力を、市場の文脈の中で冷静に評価する必要がある。
評価軸 | 採点 (5点満点) | 解説 |
---|---|---|
技術性能 | ★★★★★ | シングルドライバー設計における一つの到達点。トゥルーダイヤモンド振動板と、それを支える全体設計から生まれる超低歪み、透明度、解像力は、間違いなくクラス最高峰である 7。 |
音楽的魅力 | ★★★☆☆ | 評価が大きく分かれるだろう。クラシックやアコースティックのような特定のジャンルでは息を呑むほど魅力的だが、EDMやヘヴィロックなどでは、その分析的な性格と低域の不足が、音楽への没入を妨げる可能性がある 8。万能選手ではない。 |
ビルドクオリティ | ★★★★★ | 模範的。ステンレス鋼、コート・ド・ジュネーブ仕上げ、ネジ止めによる組み立ては、高級時計製造にも通じる最高レベルの工業デザインと言える 7。ただし、63gという重量は、一部のユーザーにとっては快適性を損なう可能性がある 12。 |
価格対価値 | ★★☆☆☆ | 極めてニッチ。約40万円という価格は、汎用性を欠くイヤホンとしては正当化が難しい。競合製品は、より低い価格でより多様な音楽に対応できるチューニングを提供している。その価値は、この唯一無二の音響特性を何よりも優先する、専門的なリスナーにのみ見出されるだろう。 |
将来性 / 修理性 | ★★★★☆ | 接着剤を用いないネジ止め構造は、長期的な所有と修理の可能性という点で大きな利点であり、finalの哲学とも一致する 7。しかし、高精度ゆえにユーザーによる交換が推奨されないMMCXケーブルは、選択の自由を奪い、単一故障点となる重大な欠点である 7。 |
ポジティブ/ネガティブ要素の均衡
- ポジティブ: 比類なき透明度と解像力。クロスオーバー歪みのない「純粋な」サウンド。最高級のビルドクオリティと素材。明確で揺るぎないエンジニアリング思想。
- ネガティブ: 多くのポピュラー音楽には不向きな、極めて専門的なチューニング。控えめでインパクトに欠ける低域。かなりの重量と、人によっては装着が難しい可能性。ユーザーが交換できないケーブルは、ハイエンド製品として実用的・思想的に大きな制約。汎用性の低さに対して非常に高価。
5. 俯瞰的視点:A10000の存在意義
A10000を単体の製品としてではなく、現代ハイエンドオーディオ市場という大きな文脈の中に置いたとき、その真の存在意義が浮かび上がってくる。
シングルドライバーの純粋主義 vs. 多ドライバーの軍拡競争
現代のハイエンドIEM市場は、「多ければ多いほど良い」という思想に支配されていると言ってもよい。Empire Ears ODIN(11基)、Vision Ears PHönix(13基)、Oriolus Traillii(12基)といった競合製品は、ダイナミック、バランスド・アーマチュア、静電型といった複数のドライバーをシェルに詰め込み、周波数帯域を分担させている 31。
A10000は、この潮流に対する明確かつ挑戦的な「反論」である。それは、位相、音色、クロスオーバーの統合という困難な課題を抱える複雑なマルチドライバーシステムよりも、単一の点音源を完璧に磨き上げることこそが理想である、という思想的賭けに他ならない。市場のトレンドがドライバー数と複雑性の増加に向かう中、finalは純粋主義的なエンジニアリングの歴史に基づき、ただ一つのドライバーを完成させることに莫大なリソースを投じた 1。その結果生まれたサウンドは、しばしば不完全に実装されたハイブリッド機で損なわれがちな、卓越した一体感と分離感を特徴とする。A10000の存在自体が、市場の主流に対する批評なのである。その高価格は、素材だけでなく、この純粋主義的なビジョンを貫くという、ある種の「気高さ」に対する対価なのかもしれない。
競合製品との対峙
- vs. Sennheiser IE 900: IE 900は、「テクニカルなシングルDD」の基準器である。A10000と同様の透明度を目指しつつも、その実現手段としてヘルムホルツ共鳴器のような音響チューニング技術を用いている 25。対するA10000は、振動板の素材そのものから純度を追求するという、より根源的なアプローチを採る。IE 900がそのパワフルで質の高い低域で賞賛される一方 39、A10000はその領域を意図的に抑制している。IE 900はより現実的でバランスの取れたシングルDDのフラッグシップであり、A10000はより極端で妥協のない求道者と言えよう。
- vs. DITA Perpetua: Perpetuaもまた純粋主義的なシングルDDだが、その哲学はA10000とは正反対である。究極の技術性よりも、暖かく、滑らかで、有機的な音楽性を優先し、音色と情緒的なつながりを重視している 40。A10000が分析的な「理性」のイヤホンであるとすれば、Perpetuaは音楽的な「魂」のイヤホンである。両者は、シングルDDという理想に至るための、二つの分岐した道を示している。
- vs. Sony IER-Z1R: IER-Z1Rは、その巨大で質感豊かな低域と、広大で立体的なサウンドステージで知られる「ハイブリッドの王」である 42。それは、A10000が志向しないすべての要素――V字型の楽しいサウンド、パワフルなチューニング――を体現している。A10000の前身であるA8000との比較レビューは、この対立を象徴している。A8000が中高域のディテールで勝る一方、Z1Rは低域のインパクトと音場のスケール感で圧勝する 43。IER-Z1Rがマキシマリズム(最大主義)の表明であるならば、A10000はミニマリズム(最小主義)の極致なのである。
6. 結論と提言
これまでの分析を踏まえ、A10000という稀有なイヤホンに対する最終的な評価と、それを手に取るべき人物像を明確にしたい。
推奨するユーザー像
- 分析的なリスナー: 何よりもディテール、解像力、透明性を優先する者。「ハウスサウンド」ではなく、録音された音源そのものを聴きたいと願う者。
- クラシックおよびアコースティック音楽の愛好家: A10000の長所は、複雑でダイナミックなアコースティック録音の要求と完璧に合致する。
- エンジニアリングと工芸の理解者: 機械式時計や精密な楽器のコレクターのように、モノの背後にある哲学を尊び、その素材と構造に美を見出すことができる人物。
再考を促すユーザー像
- 低音愛好家(ベースヘッド): A10000の低域は、身体的な衝撃や地響きのような量感を求める人々を、深く失望させるに違いない。
- 暖かく、豊潤で、「音楽的」な音色を好むファン: その表現は、冷徹あるいは無機質と感じられる可能性がある。暖かみや豊かさを求めるならば、DITA Perpetuaのような競合製品に目を向けるべきである。
- 現実主義者: 日常的に使用するための、多目的なオールラウンダーを求める者にとって、A10000の専門性と高価格は、より適応性の高い他のフラッグシップ機と比較して、価値が低いと判断されるだろう。
将来の展望
ユーザーが交換できないケーブルは、その長期的な寿命に対する最大のリスクである。筐体の作りは堅牢だが、保証期間外にケーブルが故障した場合、致命的な事態になりかねない。また、その精密な設計ゆえに、ユーザーによる改造の余地は一切ない。これは手を加えるためのプラットフォームではなく、完成された一つの作品である。
総合評価:★★★★☆
A10000は、五つ星の技術的達成と、三つ星の音楽的汎用性を併せ持つ、専門性の高い傑作である。それは、すべての人に向けられた製品ではなく、一部の探求者のために作られた、 brilliant( brilliant)だが要求の厳しい楽器だ。この最終評価は、その客観的な卓越性を認めつつも、主観的かつ実用的な限界を考慮したものである。それは、静寂の価値を知る者だけが、その真価を理解できる孤高のダイヤモンドなのである。
参考文献 / 参照リンク
引用文献
1. ABOUT US - FINAL, https://snext-final.com/en/aboutus/
2. final、フラグシップイヤホン「A10000」発売を8/29に延期。素材調達でトラブル - PHILE WEB, https://www.phileweb.com/sp/news/d-av/202506/25/62963.html
3. final A10000 Collector’s Edition - e イヤホン, https://www.e-earphone.jp/products/578693
4. 発売日変更のお詫びとお知らせ | 株式会社finalのプレスリリース - PR TIMES, https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000133.000121822.html
5. 新フラッグシップ「A10000」発表 トゥルーダイヤモンド振動板 超低歪DUが実現する”誰も経験したことのない音”全世界300台限定生産の - FINAL, https://final-inc.com/blogs/top/news-207
6. イヤホン カナル型 A10000 Collectors Edition [φ4.4mm バランスプラグ] FINAL - ビックカメラ, https://www.biccamera.com/bc/item/14055066/
7. A10000|final 公式ストア, https://final-inc.com/products/a10000-jp
8. Final Audio A10000 Review - Major HiFi, https://majorhifi.com/final-audio-a10000-review/
9. Final Audio A10000 & A10000 Collector’s Edition – High End In-Ear-Kopfhörer - HiFi-IFAs, https://hifi-ifas.de/news-final-audio-a10000-a10000-collectors-edition-diamanten-zum-hoeren
10. A10000|final 公式ストア, https://final-inc.com/en/products/a10000-jp
11. Final A10000 Dynamic Universal IEMs | Bloom Audio, https://bloomaudio.com/products/final-a10000
12. Shining Bright Like A Diamond: The Final Audio A10000 Review, https://audio46.com/blogs/headphones/shining-bright-like-a-diamond-the-final-audio-a10000-review
13. 【聴いてきた!】final 新フラッグシップイヤホン「A10000」メディア試聴会に参加しました!, https://e-earphone.blog/?p=1519875
14. 【新フラッグシップ】final A10000回【final LIVE!】 - YouTube, https://www.youtube.com/watch?v=LbF6aEfI1kc
15. Breakthrough in the World of In-Ear Headphones: Final Audio A10000 - Dr.Head, https://drhead.ae/blog/breakthrough-in-the-world-of-in-ear-headphones-final-audio-a10000/
16. 【春のヘッドホン祭】 2025.4.26 final A10000とか色々聴いてきました〜 in東京 vlog, https://earphone-uguxiao.hatenablog.jp/entry/2025/04/27/132503
17. New Flagship iem from Final Audio A10000 updated from the A8000 - Reddit, https://www.reddit.com/r/headphones/comments/1jqsjgq/new_flagship_iem_from_final_audio_a10000_updated/
18. IEM Graph Database - In-Ear Fidelity, https://crinacle.com/graphs/iems/
19. Understanding Amplifier Measurements (Video) | Audio Science Review (ASR) Forum, https://www.audiosciencereview.com/forum/index.php?threads/understanding-amplifier-measurements-video.44189/
20. What is your opinion on Head-Fi? : r/headphones - Reddit, https://www.reddit.com/r/headphones/comments/2njfvd/what_is_your_opinion_on_headfi/
21. Final sound, https://videosell.eu/collections/final-audio
22. FINAL AUDIO - Dune Blue, https://duneblue.com/brands/final-audio/
23. finalについて | final-イヤホン・ワイヤレスイヤホン・ヘッドホン|final 公式ストア, https://final-inc.com/pages/about
24. Final Audio A10000 In-Ear Headphones (Pre-Order) - Audio46, https://audio46.com/products/final-audio-a10000-in-ear-headphones
25. Sennheiser IE 900 Review (2) - From A Single Mould • Music For The Masses, https://www.audioreviews.org/sennheiser-ie-900-review-jk/
26. Sennheiser IE 900 High Fidelity Earphones - Audio46, https://audio46.com/products/sennheiser-ie-900-high-fidelity-earphones
27. Specifications - DITA Audio, https://ditaaudio.com/pages/technical-specifications-perpetua
28. DITA Audio Perpetua Dynamic Universal IEMs, https://bloomaudio.com/products/dita-audio-perpetua
29. IER-Z1R Specifications | In-ear | Sony Asia Pacific, https://www.sony-asia.com/electronics/in-ear-headphones/ier-z1r/specifications
30. IER-Z1R Specifications | Sony USA, https://www.sony.com/electronics/support/wired-headphones-in-ear/ier-z1r/specifications
31. Universal In-Ear Monitors | Odin - Empire Ears, https://empireears.com/products/odin
32. Empire Ears Odin - Official Thread - The HEADPHONE Community, https://forum.headphones.com/t/empire-ears-odin-official-thread/8063
33. PHÖNIX: High-end In-Ears for audiophiles & hi-fi fans, https://vision-ears.de/en/products/premium-line/phoenix
34. Vision Ears PHöNIX (Universal) - 4.4mm - MusicTeck, https://shop.musicteck.com/products/vision-ears-phonix-universal
35. Subtonic STORM Review: Chasing the Dragon - The HEADPHONE Community, https://forum.headphones.com/t/subtonic-storm-review-chasing-the-dragon/23453
36. STORM: Launch Edition - Subtonic Audio, https://subtonic.audio/products/storm
37. Oriolus Traillii JP Black and Red (US Exclusive Version) (in stock) - MusicTeck, https://shop.musicteck.com/products/oriolus-traillii-jp-new-generation-electrostatic-hybrid-iem-black-and-red-special-version
38. Oriolus Traillii JP - Audio Essence, https://audioessence.ch/en/products/oriolus-traillii
39. Sennheiser IE 900 Review: This is the Bass I’ve Been Looking For!, https://forum.headphones.com/t/sennheiser-ie-900-review-this-is-the-bass-ive-been-looking-for/22736
40. Dita Audio Perpetua Review - Headfonia, https://www.headfonia.com/dita-audio-perpatua-review/3/
41. Dita Perpetua - Ear Fidelity, https://www.ear-fidelity.com/dita-perpetua/
42. Sony IER-Z1R Review - The Hybrid Behemoth - Headphones.com, https://headphones.com/blogs/reviews/sony-ier-z1r-review-the-hybrid-behemoth
43. Sony IER Z1R vs Final Audio A8000 Comparison Review - Major HiFi, https://majorhifi.com/sony-ier-z1r-vs-final-audio-a8000-comparison-review/