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Audio-Technica ATH-ADX5000 レビュー:空気を聴くという哲学の、頂点にして孤高の存在

Audio-Technica ATH-ADX5000 レビュー:空気を聴くという哲学の、頂点にして孤高の存在

2025/09/05 公開
2025/09/10 更新
Audio-Technica
ATH-ADX5000
audio-technica-ath-adx5000

オーディオ再生における「透明性」とは、一体何を指すのだろうか。それは再生装置という媒体の存在を完全に消し去り、聴き手と音楽の間に介在する一切を取り払うことなのだろうか。あるいは、媒体を完璧なレンズとして磨き上げ、それを通してのみ見ることのできる、より鮮明な音楽の姿を映し出すことなのだろうか。この問いは、ハイエンドオーディオの根源に横たわる哲学的命題と言っても過言ではない。

そして今、我々の目の前には、この命題に対する一つの極めて明確な回答が存在する。Audio-Technica ATH-ADX5000。これは単なるヘッドホンではない。日本の老舗が長年にわたり培ってきた「オープンエアー」という思想、その現時点における最終回答であり、一つの哲学の結晶である。

その思想の核心は、「音の純度は、機械的な簡潔さと質量の低減によって達成される」という信念にあるように思われる。1974年のAT-700シリーズに源流を持ち、1999年の初代「Air Dynamic」モデルATH-AD10から連なる系譜の頂点に立つADX5000は、過去の遺産を継承しつつも、ある種の決別を宣言している 1。本稿は、この孤高のヘッドホンが内包する技術的必然性と、それがもたらす音響的帰結を解剖し、現代ハイエンド市場におけるその存在意義を問う試みである。

関連記事

Audio-Technica ATH-ADX5000 — Overview

  • メーカー: 株式会社オーディオテクニカ (Audio-Technica Corporation)
  • 型番: ATH-ADX5000
  • 発売日: 2017年11月10日 1
  • 価格帯:
    • USD: 1,9991,999 - 2,199 4
    • JPY: ¥261,800 (税込・公式ストア価格) 6

主要スペック

  • 形式: オープンエアーダイナミック型 7
  • ドライバー: φ58mm、バッフル一体型、タングステンコーティング振動板 7
  • 磁気回路: ドイツ製パーメンジュール採用 9
  • 再生周波数帯域: 5 – 50,000 Hz 7
  • 出力音圧レベル (感度): 100 dB/mW 7
  • インピーダンス: 420 Ω 7
  • 最大入力: 1,000 mW 7
  • 質量: 270g (ケーブル除く) 7
  • 付属品: 3.0m 着脱コード (A2DCコネクター, 6.3mm標準プラグ)、ハードケース 7
  • 出典:(https://www.audio-technica.com/en-us/ath-adx5000)

第一章:衆評の交差点

いかなる製品も、世に出た瞬間から多角的な評価の網の目に晒される。ADX5000も例外ではない。その音を巡る言説は、称賛と懐疑が複雑に交錯する興味深い風景を織りなしている。

メディア引用抜粋 (和訳+原文)評価点バイアス評価
Headfonics「臆面もなくブライトなサウンド…刺さり(sibilance)を正確に回避しつつ、膨大な高域情報を押し出すことに成功している。」“Unapologetically bright sounding…manages to push great amounts of high-frequency information while precisely coming short of sibilance.”8.9/10専門誌レビュー。メーカー貸与品の可能性が高いが、内容は詳細かつバランスが取れている。総じて肯定的。
Headphones.com (Resolve Reviews)「ブライトでありながらバランスの取れたヘッドホンが存在可能であることを示している…HD800Sが耳障りに聴こえる箇所でさえ、これはそうならない。」“…demonstrating that you can have a headphone that’s both bright and balanced at the same time… this doesn’t sound shrill in places where the HD800S sounds shrill as well.”8.3/10評価の高い独立系レビュアー。バイアスは低く、技術性能と客観比較に重点を置く。
Reddit ユーザー “jwtintin00”「低域:HD800と同じくらい速いが、はるかに質感がある…中域:…ほとんどの女性ボーカルでかなりシャウティで歯擦音が気になる。」“Bass: As fast as the HD800, but with much more texture… Mids:…gets quite shouty and sibilant on most female vocals.”(N/A)ユーザーの第一印象。バイアスはないが、個人の高域感度に左右される。レビュー機体のきしみ音を指摘。
Crutchfield 購入者「ジャズドラマーがライドシンバルを叩く際の倍音が欠けている点に欠点を見出した。何を聴いても、ほとんどのライドシンバルのヒット音は『チッ、チッ、チッ』と聴こえる。」“I find fault with this headphone’s lack of overtones of ride cymbals when being played by a jazz drummer. No matter what you’re listening to, most ride cymbal hits sound like ‘tic, tic, tic.’”★★★★☆実購入者レビュー。バイアスがなく、特定ジャンルでの具体的なフィードバックは貴重。
Audio Science Review (Amir)「…設計の残りの部分は、ターゲット(カーブ)からの大きな逸脱を伴う失敗である…ATH-ADX5000を推薦することはできない。」“…the rest of the design is a failure with large deviation from target response… I can NOT recommend the Audio Technica ATH-ADX5000.”(Poor)測定至上主義。データは客観的だが、特定のターゲットカーブ(ハーマンターゲット)への固執が主観評価に強く影響。有力な反証。
SoundStage! Solo (Brent Butterworth)「どんなオーディオファイルでも…ADX5000が市場の少なくとも3000ドルまでのどの製品とも音質的に競合可能だと考えないとは想像できない。」“I can’t imagine any audiophile… wouldn’t consider the ATH-ADX5000s sonically competitive with anything on the market up to at least $3000.”(Highly Positive)業界のベテランレビュアー。貸与品の可能性が高いが、論理的な比較に基づいた肯定的な評価。

これらの評価を俯瞰すると、いくつかの共通項と論点が浮かび上がる。まず、ほぼ全てのレビューで一致しているのは、その卓越した解像度、スピード、そして驚異的な軽さからもたらされる快適性である。広大で空気感に満ちたサウンドステージもまた、共通の評価点と言えよう。

一方で、その評価を二分するのが音質チューニング、特に高域の表現だ。多くの経験豊富なレビュアーは、ADX5000を「ブライト」と評しつつも、「しかし耳障りではない」「巧みに制御されている」と但し書きを添える 13。これは、単なる高域の強調ではなく、質を伴った表現であることを示唆している。しかし、一部のユーザーからは特定の楽曲、特に女性ボーカルで刺さりやシャウティな印象を受けるという報告もあり、個人の聴覚感度や再生システムとの相性が問われる部分であろう 15

そして、このヘッドホンの評価史において見過ごせないのが、初期ロットで報告された**「きしみ音(creaking)」の問題**である 15。フラッグシップモデルとしては許容しがたいこの初期不良は、その登場初期の評判に影を落としたに違いない。しかし、その後のユーザー報告によれば、市販モデルではこの問題は解消されているとの声が上がっており、メーカー側で静かな改良が行われた可能性が高い 22。これは、現在の購入検討者にとって極めて重要な情報と言える。

ADX5000を巡る言説は、このように単純ではない。初期のビルド問題、測定データに基づく辛辣な評価、そして主観的な聴感の心地よさ。これらの多層的な評価を紐解くことこそが、本機の真価を理解する鍵となるだろう。

第二章:機能美の解剖学

ATH-ADX5000の設計思想を理解するには、まずAudio-Technicaの「Air Dynamic」シリーズの歴史を遡る必要がある。1999年のATH-AD10に始まるこのシリーズは、一貫して開放的で広大な音場表現を追求してきた 1。その長年のアイコンであった「3Dウイングサポート」をADX5000が廃止したことは、単なるデザイン変更ではない。それは、伝統との決別であり、より普遍的な快適性と音響的理想を追求するための、意図的な選択であったに違いない 24

コアマウントという哲学

ADX5000の核心には、いくつかの革新的な技術が統合されている。

  • バッフル一体型ドライバー: 通常、ドライバーユニットはバッフルと呼ばれる板にネジで固定される。しかしADX5000では、φ58mmの大口径ドライバーユニットそのものが、高剛性のPPS樹脂製バッフルと一体成型されている 11。これにより部品点数が削減され、不要な振動や歪みの発生源を原理的に排除している。これは、本機の「Less is More」という哲学を象徴する構造と言えよう。
  • 先進素材の投入: 振動板には、高い剛性で過渡応答(transient response)を向上させるタングステンコーティングが施されている。そして、その振動板を駆動する磁気回路には、極めて高い磁束密度を誇るドイツ製パーメンジュールを採用。これにより、入力信号のエネルギーをロスなく、そして極めて正確に振動へと変換することが可能となる 9
  • コアマウントテクノロジー (PAT.P): 本機のために開発された特許技術である。これは、ドライバーユニットのボイスコイルを、耳からハウジングまでの音響空間をちょうど二分の一に仕切る最適なポジションに配置する設計を指す 24。メーカーによれば、これにより空気の流れが効率化され、極めて自然な音場と抜けの良い音、そして正確な低域再生が実現されるという。
  • ハニカムパンチングハウジング: ハウジングには、開口率を最大化したアルミニウム製のハニカムパンチングが採用されている。特徴的なのは、ハウジングの側面を塞ぐことで、音質に悪影響を与える可能性のある不要な空気圧の損失を防いでいる点だ 7。開放感を保ちつつ、音響的なコントロールを失わないための巧みな設計である。

客観的視座 — 測定データの解釈

主観的な聴感印象を補強するのが、客観的な測定データである。しかし、データは解釈されて初めて意味を持つ。

周波数特性
Audio Science Review (ASR) や Hi-Fi News といったメディアの測定では、いくつかの特徴が示されている 18。ASRはハーマンターゲットカーブとの比較において、上部低域と高域の強調、そして2-3kHz付近の落ち込みを指摘し、これを否定的に評価した。一方、
Hi-Fi News はこれを「鞍型(saddle-shaped)」と表現し、結果的にハーマン補正カーブにおける低域をフラットにする効果があると分析している。同じデータを見ても、その解釈は一つではないのだ。

歪率 (THD)
歪率に関しても、測定者によって見解が分かれている。ASRは2.2kHz付近に高い歪みのピークを指摘する一方 18Hi-Fi News は90dB SPLという大音量時でも歪みは十分に低い(100Hzで0.2%、1kHzで0.1%未満)と報告している 27。この矛盾は、測定条件や個体差の可能性を示唆するが、決定的な欠陥とは断じがたい。

インピーダンス
公称420Ωという高いインピーダンスに加え、本機は極めて特異なインピーダンスカーブを持つ。特にドライバーの共振周波数である90Hz付近では、インピーダンスが800Ω、一部の測定では1400Ω以上にまで急上昇する 27。この事実は、単なる技術仕様にとどまらない、重大な意味を持つ。

このインピーダンスカーブこそが、ADX5000の音響的性格を理解する上で最も重要な鍵となる。出力インピーダンスが高いアンプ(多くのOTL方式真空管アンプがこれに該当する)で駆動した場合、ヘッドホンのインピーダンスが高い周波数帯域でより多くの電圧が供給される。ADX5000の場合、90Hz付近のインピーダンスが突出して高いため、こうしたアンプと組み合わせると、その帯域の低音が自然にブーストされることになる。これが、多くのユーザーが真空管アンプとの組み合わせで「音が暖かくなった」「バランスが取れた」と感じる物理的な理由である 7。ADX5000は固定された一つの音を持つのではなく、アンプというパートナーを選ぶことでその表情を大きく変える、ある種の「楽器」のような側面を持っていると言えるだろう。

競合製品とのスペック比較

モデル方式 / 構造インピーダンス感度重量
Audio-Technica ATH-ADX5000ダイナミック / 開放420Ω100 dB/mW270g
Sennheiser HD 800 Sダイナミック / 開放300Ω102 dB (1V)330g
Focal Utopia (2022)ダイナミック / 開放80Ω104 dB/mW490g
final D8000 Proプラナー / セミオープン60Ω98 dB/mW523g

第三章:音響のインプレッション

技術的背景と測定データを踏まえ、いよいよその音の世界へと分け入る。ここでは、世界中の聴き手の声に耳を傾けつつ、その音響的特徴をジャンルごとに描写していく。

レビュアー / 媒体引用抜粋 (和訳+原文)
Resolve Reviews (YouTube)「(他のブライトな)ヘッドホンが時に示すような煩わしさがなく、事実、HD800Sが耳障りに聴こえる箇所でさえ、これはそうならない。」“…it doesn’t sound bothersome the way that some of those other [bright] headphones do in fact this doesn’t sound shrill in places where the HD800S sounds shrill as well.”
Head-Fi ユーザー “MCM” (Reddit)「クラシック、オペラ、ジャズはADXの得意分野かもしれない。これらのジャンルは、ADXの広大なサウンドステージを活用し、各楽器を自然で過度に誇張されない空間に提示するからだ。」“Classical, Opera, and jazz may be the ADX’s forte as those genres take advantage of the ADX’s expansive soundstage to present each instrument in its own natural and not-overblown space.”
Headfonics「オーディオテクニカは、このヘッドホンの中域を、生演奏に理想的な、生命感のある写実性と色付けのない品質でチューニングした。」“Audio-Technica tuned the midrange of these cans well with life-like resemblance and uncolored quality making this ideal for live recordings.”
Bloom Audio「サウンドステージは実に巨大で、それに伴うイメージングも非常に堅実だ…ライブ映像のステージングやカメラアングルをいかによく視覚化できるかに衝撃を受けた。」“The soundstage is simply huge, and the accompanying imaging is quite solid… I was struck by how well I could visualize the staging and camera angles of a live video.”

クラシック

大編成のオーケストラ作品を再生させると、ADX5000の真価が発揮される。その強みは、圧倒的な楽器の分離とレイヤリングにある。弦楽器群のテクスチャー、金管楽器の咆哮、木管楽器の繊細な息遣いが、混濁することなく、それぞれ明確な輪郭を持って描き出される 13HD 800 Sほどの絶対的な横幅はないかもしれないが、その「空気感」に満ちたプレゼンテーションは、コンサートホールの響きをリアルに再現し、聴き手を録音空間へと誘う。個々の音が明瞭であるだけでなく、それらが織りなすハーモニーの構造全体を俯瞰できるような、分析的でありながらも美しい聴取体験は、本機ならではの魅力であろう。

ジャズ

小編成のジャズコンボでは、その卓越したスピードと過渡応答が光る。シンバルレガートの粒立ち、スネアの鋭いアタック、ピアノのハンマーが弦を打つ瞬間のリアリティは、まさに息をのむレベルだ 13。しかし、一部のユーザーが指摘するように、ライドシンバルの響きから複雑な倍音が削ぎ落とされ、ややドライに「チッ、チッ、チッ」と聴こえる傾向があることも事実かもしれない 16。これは、本機の極めて速い減衰特性の裏返しでもあろう。一方で、アコースティックベースの音色は特筆に値する。弦の振動から胴鳴りまで、その質感と音程が驚くほど明瞭に描き分けられ、楽曲のグルーヴを支えるベースラインを克明に追うことができる 16

EDM / エレクトロニカ

電子音楽との相性は、何を求めるかによって評価が分かれるだろう。Focal Utopiaやトップクラスの平面駆動型ヘッドホンが持つような、身体を揺さぶるサブベースのインパクトやスラム感は期待できない 29。ADX5000の低域は、量感よりもスピードと質感を重視したものであり、タイトで解像度は高いものの、いわゆる「ベースヘッズ」を満足させるものではない 15。しかし、複雑なシンセサイザーのテクスチャーや、高速なシーケンスフレーズを解きほぐす能力は圧巻である。広大なステレオイメージの中に音像が正確に定位し、電子音響の空間構築を隅々まで見渡すことができる。快楽的な低音の衝撃ではなく、知的な音響体験を求めるならば、ADX5000はユニークな選択肢となり得るに違いない。

第四章:価値の天秤

あらゆる要素を勘案した上で、ATH-ADX5000の価値を総合的に評価する。

評価軸採点 (5点満点)解説
技術性能4.5世界トップクラスの解像度、スピード、分離性能。ドライバーは低質量エンジニアリングの粋を集めた傑作。絶対的な音場の広さでHD 800 Sに一歩譲る点と、一部で指摘される測定上の歪みピークを鑑み、満点から僅かに減点。
音楽的魅力4.0分析的なリスニングや、ディテールと空気感が活きるジャンル(クラシック、アコースティック、ジャズ)では極めて魅力的。ロックやEDMに求められる肉体的なインパクトには欠ける。音楽性はシステムとの相性に大きく依存する。
ビルドクオリティ3.5現行の市販モデルは堅牢に組み立てられている。しかし、初期ロットのきしみ音問題はフラッグシップとしての品質管理に疑問符を付けた。素材(マグネシウム、アルカンターラ)は機能的で軽量だが、同価格帯の競合機が持つ「高級感」には乏しいと感じる向きもある 15
価格対価値3.5発売当初、その快適性と分析的なサウンドはユニークな価値を持っていた。しかし市場の競争は激化しており、一部ではHD 800 Sに近い価格帯(約$1700)であるべきとの意見もある 14
将来性 / 修理性4.0(やや独自規格ではあるが)A2DCコネクターによるケーブル着脱式は長期使用において大きな利点 21。交換用イヤパッドも供給されており 6、修理も比較的容易な設計と見られる。

評価のバランスシート

ポジティブ(資産):

  • 比類なき快適性: 270gという驚異的な軽さは、長時間のリスニングセッションを全く苦にしない。これは他のどのフラッグシップ機にもない、明確なアドバンテージである 21
  • 最高峰の解像度: HD 800 Sとしばしば比較される、極めて高いディテール再現性と過渡応答性能 15
  • 独自のチューニング: 「ブライトだがバランスが取れている」と評される音質は、多くの競合機が陥りがちな耳障りなピークを回避している 14

ネガティブ(負債):

  • ニッチな音響特性: 万人受けするサウンドではない。ボディの厚みや暖かみに欠け、分析的すぎると感じる可能性がある 15
  • 低域のインパクト不足: サブベースのロールオフと物理的な衝撃の欠如は、特定のジャンルのファンを失望させるだろう 30
  • 価格設定と付属品: バランスケーブルが高価な別売りであり、付属ケーブルがシングルエンド1本のみという点は、この価格帯では物足りなさを感じる 21

第五章:頂上決戦 — 存在意義の探求

ATH-ADX5000がハイエンド市場で占めるべき位置はどこか。その存在意義は、競合する巨人たちとの対峙によって、より鮮明に浮かび上がる。

ADX5000 vs. Sennheiser HD 800 S:
これは「分析的サウンドの王者決定戦」とでも言うべき対決だ。HD 800 Sは、サウンドステージの広さとイメージングの正確さにおいて、長らく業界のベンチマークであり続けてきた 36。ADX5000は、解像度と明瞭さでこれに真っ向から挑む。ステージの絶対的な広さではHD 800 Sに軍配が上がるかもしれないが、ADX5000はより「有機的」あるいは「親密」な空間を描き出し、そして何よりも、HD 800 Sの弱点とされる6kHzのピークに起因する耳障りさを感じさせない、より洗練された高域表現を持つという評価が少なくない 14。低域の質感においても、ADX5000の方が豊かであるとの声もある 15
ADX5000 vs. Focal Utopia (2022):
ここには、ダイナミックドライバー設計における二つの異なる哲学の衝突がある。490gという重量級のUtopiaは、比類なきパンチ、ダイナミクス、そして物理的な衝撃を、より凝縮された音場の中に叩き込むことを信条とする 38。対する270gのADX5000は、純然たるスラム感よりも、スピード、空気感、そして広大な音響空間の再現を優先する。Utopiaが戦鎚(ウォーハンマー)ならば、ADX5000は鋭利なレイピアだ。
ADX5000 vs. 平面駆動勢 (final D8000 Pro / HIFIMAN HE1000se):
ADX5000のダイナミック型ならではの過渡特性を、主要な平面駆動型と比較する。final D8000 Proは、AFDS技術により平面駆動型のディテールとダイナミック型のような低域のインパクトを両立させたユニークな存在だが、500gを超える重量は無視できない 40。HIFIMAN HE1000seは、ADX5000と同様に空気感とディテールに優れたサウンドだが、平面駆動型特有の深く沈み込むテクスチャー豊かな低域を持つ。ただし、こちらもブライトな傾向にあると評されることがある 42
この比較を通じて、ADX5000の真の存在価値が明らかになる。それは、単一の性能指標で頂点に立つことではない。HD 800 Sにはステージの広さで、Utopiaにはインパクトで、平面駆動型にはサブベースの深さで、それぞれ一歩譲るかもしれない。しかし、ここに「重量」という変数を加えた途端、全ての序列は覆る。ADX5000の270gという質量は、Utopia (490g)、D8000 Pro (523g)、HE1000se (440g)、そしてHD 800 S (330g) と比較しても、圧倒的に軽い。

つまり、ADX5000の存在意義(Raison d’être)とは、トップクラスの分析的音響性能と、比類なき長時間の装着快適性を、唯一両立させたヘッドホンであるという点に集約される。他のどのフラッグシップ機も、この特定の組み合わせにおいてはADX5000に及ばない。それは、低域の衝撃や究極の音場の広さよりも、ディテールと快適性を最優先する聴き手にとっての、議論の余地なき終着点なのである。

第六章:結論 — この音は誰のために

我々の旅も、終着点に近づいている。ATH-ADX5000は、万人向けの王ではない。それは、特定の価値観を持つ求道者のために存在する、孤高の専門家である。

この音を推奨したい人:

  • 録音の隅々まで見通したい**「ディテール探求者」**。解像度と分離性能を何よりも重視する人。
  • 長時間リスニングが常であり、ヘッドホンの重さが切実な問題となる**「快適性至上主義のオーディオファイル」**。
  • アコースティック、クラシック、ジャズといった、音色、スピード、空気感が重要となるジャンルの愛好家。
  • アンプとの組み合わせによる音の変化を積極的に楽しむ**「システムビルダー」**。

この音を推奨しない人:

  • EDMやヒップホップに、肉体的な低域のインパクトとサブベースの轟きを求める**「ベースヘッズ」**。
  • 暖かく、 forgiving(寛容)な音調を持つ、一本で何でもこなせる**「万能機」**を探している人。
  • 高中域のエネルギーに敏感な人、あるいは録音の粗を容赦なく暴き出す本機の特性が裏目に出る、古い録音を主に聴く人。
  • 良質な上流機器への投資をせず、手軽な「プラグ&プレイ」体験を望む人。

将来性:
バランスケーブルや素材の異なるアフターマーケット製ケーブル、あるいはイヤパッドの交換によるサウンドチューニングの可能性は存在する。しかし、その選択肢は限られており、本機の核心的なキャラクターが大きく変わることはないだろう。これは完成された一つの「作品」なのである。

総合評価: ★★★★☆ (4.0/5)

Audio-Technica ATH-ADX5000は、日本のオーディオ設計における一つの哲学の表明である。すなわち、徹底的な簡潔さを通じて、深遠な複雑性を達成するという哲学だ。それは、あらゆる人々のための万能の王座を目指すのではなく、妥協なき音の純度という一つのビジョンを提示する。音楽への、質量を持たない窓。そのビジョンに価値を見出す聴き手にとって、これは単なるヘッドホンではなく、一つの到達点となるに違いない。

引用文献

1. オーディオテクニカ、独自技術満載の最上位オープン型ヘッドホン「ADX5000」。約24万円, https://www.phileweb.com/sp/news/audio/201710/05/19146.html
2. 50 years of headphone excellence | Audio-Technica, https://www.audio-technica.com/en-eu/headphones-50th-anniversary
3. オーディオテクニカ ATH-ADX5000 価格比較, https://kakaku.com/item/K0001004277/
4. Audio-Technica ATH-ADX5000 (ATHADX5000) Headphones - LP Gear, https://www.lpgear.com/product/ATHADX5000.html
5. Audio-Technica ATH-ADX5000 Open-back Dynamic Headphones | Sweetwater, https://www.sweetwater.com/store/detail/ATHADX5000—audio-technica-ath-adx5000-open-back-dynamic-headphones
6. ATH-ADX5000 - ワイヤードヘッドホン - オーディオテクニカ, https://www.audio-technica.co.jp/product/ATH-ADX5000
7. Audio-Technica ATH-ADX5000 Audiophile Open-Air Headphones - Audio46, https://audio46.com/products/audio-technica-ath-adx5000-audiophile-open-air-headphones
8. ATH-ADX5000 | Reference Open-Back Headphones - Audio-Technica, https://www.audio-technica.com/en-eu/headphones/type/open-back/ath-adx5000
9. Wired Headphones - オーディオテクニカ, https://www.audio-technica.co.jp/pdf/other/catalog_hp.pdf
10. ATH-ADX5000 - Audio-Technica, https://www.audio-technica.com.hk/index.php?op=productdetails&pid=1185&cid=30&sid=50&lang=eng
11. ATH–ADX5000 - Audio-Technica, https://www.audio-technica.com.hk/templates/index/file/ATH_ADX5000_en.pdf
12. ATH-ADX5000 - Audio-Technica, https://www.audio-technica.com/en-us/ath-adx5000
13. Audio-Technica ATH-ADX5000 Review - Headfonics, https://headfonics.com/audio-technica-ath-adx5000-review/
14. Audio Technica ATH-ADX5000 Audiophile Headphones Review - Underrated Flagship?, https://www.youtube.com/watch?v=i7xdtCVpyCw
15. ATH-ADX5000 first impressions : r/headphones - Reddit, https://www.reddit.com/r/headphones/comments/7d3q2r/athadx5000_first_impressions/
16. Customer Reviews: Audio-Technica ATH-ADX5000 Open-air over-ear headphones at Crutchfield, https://www.crutchfield.com/ISEO-rgbtcspd/p_901ADX5000/Reviews/Audio-Technica-ATH-ADX5000.html
17. Audio Technica ATH-ADX5000 Review (Headphone) | Page 2, https://www.audiosciencereview.com/forum/index.php?threads/audio-technica-ath-adx5000-review-headphone.24070/page-2
18. Audio Technica ATH-ADX5000 Review (Headphone) | Audio Science Review (ASR) Forum, https://www.audiosciencereview.com/forum/index.php?threads/audio-technica-ath-adx5000-review-headphone.24070/
19. Audio-Technica ATH-ADX5000 Headphones - SoundStageNetwork.com | SoundStage.com, https://www.soundstagenetwork.com/index.php?option=com_content&view=article&id=1926:audio-technica-ath-adx5000-headphones&catid=356&Itemid=110
20. SoundStageHiFi.com - Recommended Reference Component: Audio-Technica ATH-ADX5000 Headphones - SoundStage! Hi-Fi, https://www.soundstagehifi.com/index.php/reference-components/1176-recommended-reference-component-audio-technica-ath-adx5000-headphones
21. Review: Audio Technica ATH-ADX5000 - The Air Up There - Headfonia, https://www.headfonia.com/audio-technica-ath-adx5000-review/
22. Thoughts on the ADX5000 : r/headphones - Reddit, https://www.reddit.com/r/headphones/comments/vkpjr1/thoughts_on_the_adx5000/
23. Audio Technica AD-Series: AD300, AD700, AD900, AD1000PRM, AD2000 - Headfonia, https://www.headfonia.com/audio-technica-ad-series-ad300-ad700-ad900-ad1000prm-ad2000/
24. オーテクから「オープンエアの理想を究めた」約24万円の …, https://av.watch.impress.co.jp/docs/news/1083915.html
25. ATH-ADX5000 | エアーダイナミックヘッドホン - オーディオテクニカ, https://www.audio-technica.co.jp/headphone/ath-adx5000/ATH-ADX5000.html
26. オーディオテクニカ、最新技術を結集した開放型ヘッドホン「ATH-ADX5000」発売 - BCN+R, https://www.bcnretail.com/news/detail/20171011_43665.html
27. Audio-Technica ATH-ADX5000 headphones Lab Report - Hi-Fi News, https://www.hifinews.com/content/audio-technica-ath-adx5000-headphones-lab-report
28. Audio-Technica ATH-ADX5000 Headphones - SoundStage! Network, https://www.soundstagenetwork.com/index.php?option=com_content&view=article&id=1917:audio-technica-ath-adx5000-headphones&catid=263&Itemid=203
29. ATH-ADX5000: All Day Xcellence : r/headphones - Reddit, https://www.reddit.com/r/headphones/comments/akcr1p/athadx5000_all_day_xcellence/
30. Audio-Technica ATH-ADX5000 Review, https://bloomaudio.com/blogs/articles/audio-technica-ath-adx5000-review
31. Audio Technica ATH-ADX5000 Open-Air Dynamic Headphones Review, https://headphones.com/blogs/reviews/audio-technica-ath-adx5000-open-air-dynamic-headphones-review
32. Audio Technica ATH-ADX5000 Headphone Review - Still Competitive After 7 Years?, https://www.youtube.com/watch?v=i3OY7IAeR74
33. Ath-adx5000 - General Headphone Discussion, https://forum.headphones.com/t/ath-adx5000/2629
34. But what about the Audio Technica ATH-ADX5000? : r/headphones - Reddit, https://www.reddit.com/r/headphones/comments/oq14ab/but_what_about_the_audio_technica_athadx5000/
35. SoundStageSolo.com - Audio-Technica ATH-ADX5000 Headphones, https://www.soundstagesolo.com/index.php/equipment/headphones/148-audio-technica-ath-adx5000-headphones
36. Sennheiser HD 800 S Review, https://idealitysound.com/sennheiser-hd-800-s
37. Sennheiser HD 800 S Review - The Critical Take - Headphones.com, https://headphones.com/blogs/reviews/sennheiser-hd-800-s-review-the-critical-take
38. Focal Utopia 2022 Review - Headfonics, https://headfonics.com/focal-utopia-2022-review/
39. Review: Focal Utopia (2022) – Second Time’s a Charm | Headphonesty, https://www.headphonesty.com/2022/11/review-focal-utopia-2022/
40. Final D8000 Pro Review - Headfonics, https://headfonics.com/final-d8000-pro-review/
41. Final Audio D8000 Pro Review - Headphones.com, https://headphones.com/blogs/reviews/final-audio-d8000-pro-review
42. Review of Hifiman HE1000se (2023): silent revisions? - unheardlab.com, https://unheardlab.com/2024/12/16/review-of-hifiman-he1000se-2023/
43. HIFIMAN HE1000SE REVIEW - The Headphoneer, https://www.headphoneer.com/hifiman-he1000se-review/

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