現代のオーディオ製品は、二つの相反する要求の狭間でその存在意義を問われている。一つは、純粋な信号伝送の果てにある、音楽の魂に触れるかのような高忠実度再生への渇望。もう一つは、あらゆる環境ノイズから解放され、思考や音楽に没入するための絶対的な静寂への希求である。この二律背反は、特にポータブル・オーディオの領域において、技術者たちに絶え間ない妥協を強いてきた。
この難題に対し、ドイツの物理学者集団とも言うべき T+A elektroakustik が一つの回答を提示した。それが、同社初のワイヤレス・ノイズキャンセリングヘッドホン「Solitaire T」である。これは単なる新製品ではない。40年以上にわたり科学的真理の探究を続けてきた企業が、利便性と高音質という現代的矛盾に、自らの哲学を以て挑んだ「応用問題」に他ならない。本稿では、この Solitaire T が内包する技術的野心と音響的成果を解き明かし、それが現代のリスナーにとって何を意味するのかを深く考察する。
T+A Solitaire T — Overview
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- メーカー / 型番: T+A elektroakustik GmbH & Co.KG / Solitaire T 1
- 発売日: 2022年後半 3
- 価格帯:
- USD: $1,600 - $1,700 5
- JPY: 約 ¥220,000 - ¥250,000(実勢価格)
主要スペック | 詳細 | 出典 |
---|---|---|
形式 | アラウンドイヤー、密閉型 | 7 |
ドライバー | 42mm ダイナミックドライバー(セルロース振動板) | 3 |
周波数特性 | 4 Hz – 22,000 Hz (アクティブ), 4 Hz – 45,000 Hz (パッシブ) | 2 |
THD | <0.05 % (1 kHz / 94 dB) | 7 |
インピーダンス | 64 Ω (パッシブ) | 2 |
重量 | 326 g | 3 |
Bluetooth | Version 5.1, Class 2 | 7 |
対応コーデック | SBC, AAC, aptX, aptX HD | 7 |
バッテリー | 70時間 (標準), 35時間 (HQモード) | 3 |
搭載チップ | Qualcomm QCC 5127, Sony CXD (ANC), Esstech ES9218 (HQ) | 10 |
入力端子 | 2.5mm バランスアナログ, USB-C | 3 |
1. 喧騒の中の評決:Solitaire Tを巡る世界の声
Solitaire T が市場に投じられて以来、世界中の専門メディアやオーディオ愛好家から多様な評価が寄せられている。それらを俯瞰すると、この製品の持つ特異な二面性が浮かび上がってくる。
メディア | 引用抜粋 (和訳+原文) | 評価 |
---|---|---|
What Hi-Fi? | 「ベンチマークとなるワイヤレスサウンド」 (“Benchmark-setting wireless sound.”) | ★★★★★ |
Stereophile | 「(有線接続では)シンバルのきらめきやピアノの高音域の響きが、より洗練されて聴こえる」 (“With a wired connection, the shimmer of cymbals and the plink of upper-octave piano keys sound more polished.”) | - |
SoundStage! Global | 「これらは真に『何でもこなす』ヘッドホンであり、すべてをうまくこなす」 (“These truly are do-it-all headphones that do everything well.”) | - |
AVForums | 「ワイヤレスヘッドホンと一般的なヘッドホンの両カテゴリーへの、真に卓越した追加製品」 (“A truly outstanding addition to both the wireless headphone and general headphone categories.”) | 9/10 |
Major HiFi | 「これはおそらく、私がBluetoothヘッドホンで聴いていることを本当に忘れさせてくれた初めての体験だ」 (“This is perhaps the first time I could truly forget that I was listening with a Bluetooth headphone.”) | - |
Head-Fi ユーザー | 「このカテゴリーでは他の誰もを凌駕する、トラベルヘッドホンとしての極上の音質」 (“Superb sound quality for a travel headphone and outclasses everyone else in this category.”) | ★★★★★ |
Reddit ユーザー | 「完全にパッシブで動作する多機能なハイエンド密閉型ヘッドホン」 (“Multifunctional high-end closed back set of cans working completely passively.”) | - |
ASR フォーラム | 「ANCヘッドホンの中では他の製品より少し良いが、それは乗り越えるのが難しいハードルではない」 (“a bit better than other offerings in the ANC headphone space but that is not a bar that is difficult to overcome.”) | - |
集計と分析:
集められた8つの主要な評価を分析すると、明確な傾向が見えてくる。肯定的な評価は、主にその卓越した音質、特にワイヤレスヘッドホンとしての水準を超えた忠実度と、有線パッシブモードでの本格的なオーディオファイル性能に集中している 10。一方で、批判的、あるいは慎重な意見は、価格に見合う機能性(最高水準とは言えないANC性能、発売当初の機能不足)と、一部のユーザーにとって問題となるエルゴノミクス(イヤーカップのサイズ)に向けられている 13。
ここに、Solitaire T を評価する上での根本的な分岐点が存在する。この製品を「多機能なワイヤレスヘッドホン」として評価するか、それとも「ワイヤレス機能も備えた本格的な有線ヘッドホン」として評価するかで、その価値は大きく変動する。前者の視点では、SonyやAppleの製品にANC性能で劣る高価な製品と映るかもしれない 13。しかし後者の視点に立てば、その音響性能は他の追随を許さず、ワイヤレス機能はむしろ付加価値として輝きを放つ。この評価の二重性こそが、Solitaire T の本質を理解する鍵に違いない。
2. 理論と応用、その血統:T+Aの設計思想
Solitaire T という製品を正しく理解するためには、まずその創造主である T+A elektroakustik の哲学に触れる必要がある。1978年、物理学者のジークフリート・アムフトによってドイツのヘルフォルトに設立されたこの企業は、その社名「Theorie und Anwendung」(理論と応用)にすべてを表明している 16。彼らは流行やマーケティングではなく、物理法則と科学的原理に基づいて音響製品を開発する科学者集団なのだ。
T+A の歴史は、妥協のないハイエンドオーディオ機器の歴史そのものである。彼らは大量生産品ではなく、「世代を超えて受け継がれる音響の至宝」を創り出すことを目指し、回路基板からソフトウェアに至るまで、ほとんどすべての開発を自社で行う 16。この純粋主義的な姿勢は、同社の記念碑的製品である平面磁界駆動型ヘッドホン「Solitaire P」などに結実している 3。
そのような背景を持つ T+A が、なぜワイヤレス・ノイズキャンセリングという、本質的に妥協の産物であるカテゴリーに参入したのか。ここに、Solitaire T の開発における哲学的葛藤と、それを乗り越えるための独創的なアプローチが見て取れる。彼らは、単に市場の要求に応えるのではなく、自らの哲学をこの新しい領域に「応用」しようと試みた。その答えが、「パッシブ・ファースト」という設計思想である。多くのレビューが指摘するように、Solitaire T はまず純粋なパッシブヘッドホンとして設計され、その上に電子回路が追加された 3。これは、ワイヤレスヘッドホンに有線接続機能を追加するという一般的な発想とは真逆である。この設計思想こそが、T+A が自らのアイデンティティを保ちながら、現代の要求に応えるための唯一の道筋だったのだろう。それは、「我々はこの市場に参入するが、それは我々の流儀、すなわち純粋な信号経路の神聖さを最優先するという流儀においてである」という、静かな、しかし断固たる宣言なのである。
3. 三位一体のアーキテクチャ:技術的血統と競合比較
T+A の哲学は、Solitaire T の特異な内部アーキテクチャに具現化されている。それは単なる機能の集合体ではなく、「三位一体」とも言うべき、三つの独立した顔を持つ設計だ。
心臓部:音響トランスデューサー
すべての音の源は、専用開発された42mmのダイナミックドライバーである 3。振動板には軽量かつ高剛性なセルロースが採用され、俊敏でダイナミックな応答性を実現している 11。さらに、コイルの共振を抑制するために振動板の端にダンピングを施すなど、T+Aらしい細部へのこだわりが見られる 11。この音響設計の完成度が、電子回路を介さないパッシブモードでの優れた性能の礎となっている。
デジタルの頭脳:デュアルパス回路
アクティブ動作時、Solitaire T は二つの異なる信号経路を使い分ける。
1. 標準モード (ANC On/Off): Qualcomm QCC 5127チップがBluetooth信号を受信し、Sony製のCXDチップがANC処理、D/A変換、増幅を担う 10。これは利便性を優先した経路である。
2. HQ (High Quality) モード: このモードでは、Sony製チップを完全にバイパス。信号はQualcommチップから直接、より高性能なEsstech ES9218 Sabre DACと、独立した高電流Class A/Bパワーアンプへと送られる 5。これは音質を最優先した経路だ。
アナログの魂:真のパッシブモード
最も重要な点は、電源をオフにし、2.5mmジャックにケーブルを接続すると、すべての電子回路が物理的に信号経路から切り離されることである 3。これにより、Solitaire T は純粋なパッシブヘッドホンとして機能する。これは、有線接続時にも内部のDSPやアンプを経由することが多い多くの競合製品との決定的な違いである。
この「三位一体」のアーキテクチャは、T+A が直面した哲学的葛藤に対する工学的解答に他ならない。ANCの利便性を提供しつつも、HQモードでより高い忠実度を追求する可能性を確保し、そして家庭での純粋なリスニング体験のために、一切のデジタル干渉を排除したアナログパスを用意する。これは、一つの製品であらゆる要求に応えようとする野心的な試みであり、その存在を唯一無二のものにしている。
競合製品との比較
この価格帯で Solitaire T を検討するユーザーは、必然的に Bang & Olufsen Beoplay H100 や Focal Bathys といった製品を視野に入れることになるだろう。以下の比較表は、それぞれの製品が異なる設計思想に基づいていることを明確に示している。
機能 | T+A Solitaire T | Bang & Olufsen H100 | Focal Bathys |
---|---|---|---|
価格 (USD) | ~$1,600 | ~$1,549 - $2,200 27 | ~$699 28 |
ドライバー | 42mm セルロース・ダイナミック | 40mm チタン・ダイナミック 27 | 40mm Al-Mg ‘M’字ドーム・ダイナミック 29 |
重量 | ~326g | ~375g 27 | ~350g 29 |
真のパッシブモード | 対応 (全電子回路バイパス) | 非対応 (電源必須) 30 | 非対応 (DACモードは電源必須) 31 |
Hi-Fiワイヤレスモード | 対応 (HQモード w/ ESS DAC) | 非対応 (単一信号経路) | 非対応 (単一信号経路) |
Bluetoothバージョン | 5.1 | 5.3 27 | 5.1 29 |
ハイレゾコーデック | aptX HD | SBC, AAC (将来対応予定) 27 | aptX Adaptive 29 |
バッテリー (ANCオン) | ~70時間 (標準) / ~35時間 (HQ) | ~32時間 27 | ~30時間 29 |
素材 | アルミ削り出し, 合成皮革 | アルミ, チタン, 本革 27 | アルミ, マグネシウム, 本革 29 |
4. 測定データが示す客観的輪郭
オーディオ製品の評価において、客観的な測定データは主観的な聴感を補完する重要な指標となる。しかし、Solitaire T に関しては、Audio Science Review のような信頼性の高い第三者機関による包括的な測定データが公表されていないのが現状である 14。
このような状況下で、我々が参照できるのは、フォーラムなどでオーディオ愛好家によって共有された限定的なデータのみである。ASRフォーラムに投稿された周波数特性グラフは、その一例だ 14。ただし、これらのデータは測定環境や補正カーブが不明であるため、ハーマンターゲットカーブのような標準との厳密な比較は推測の域を出ず、慎重な解釈が求められる 20。
それでもなお、これらの限定的なデータから興味深い示唆を得ることは可能だ。
- パッシブモードの特性: 「ANCオフおよびパッシブモード」のグラフは、200Hz以下に緩やかな低域の盛り上がりを見せ、中域は比較的フラット、高域にはいくつかのピークとディップが存在する。特に5kHz付近の鋭い落ち込みは、一部のユーザーから指摘されている 14。
- HQモードの特性: 「High Qualityモード」のグラフでは、低域と中低域が減少し、よりニュートラルで分析的なチューニングを目指していることが示唆される。これは、多くのレビュアーの主観的印象とも一致する 9。
- ANCの影響: 「ANCオン」のグラフはパッシブモードのそれと酷似しており、ANCが音質の根幹を大きく変えないというユーザーの主張を裏付けている 14。
これらの測定結果は、不完全ながらも、T+A の設計哲学を客観的に裏付けているように見える。彼らが主張する「パッシブ・ファースト」の思想通り、パッシブモードの周波数特性が音響設計の基本となっており、アクティブモードはその基本特性に微調整を加える形で実装されている。多くのANCヘッドホンが、DSPによる大幅な補正を前提に設計されているのとは対照的だ。Solitaire T では、ドライバーとハウジングの音響設計そのものが音作りの主役であり、電子回路はあくまで補助的な役割に徹している。これは、彼らの哲学が単なる言葉だけでなく、実際の製品設計にまで貫かれていることの、ささやかながら客観的な証左と言えるだろう。
5. 耳が捉える芸術:リスニング・インプレッション
最終的に、ヘッドホンの価値はその音が紡ぎ出す音楽体験によって決定される。Solitaire T は、その三つの顔を使い分けることで、多様な表情を見せる。
レビュアー / 媒体 | 引用抜粋 (和訳+原文) |
---|---|
What Hi-Fi? | 「我々がワイヤレスヘッドホンで聴いた中で最も tangible(実体感のある)なサウンドステージ」 (“It’s as tangible a soundstage as we’ve heard through wireless headphones…”) |
Audio46 | 「高音域には素晴らしい輝きと空気感がある。ボーカルは息遣いが感じられ、それでいてスムーズだ」 (“The highs have a great sparkle and airiness. Vocals feel breathy, yet smooth.”) |
Hifi and Music Source | 「Chord Electronics Mojo2に切り替えた途端、kaboom。より引き締まった低音、改善されたサウンドステージと空間」 (“But switching to the Chord Electronics Mojo2, there it was: kaboom. A tighter bass, an improved soundstage and space.”) |
Reddit ユーザー | 「ニュートラルに近いが、ほんの少しの楽しさを加えた、ホログラフィックで表現力豊かなサウンドチューニング」 (“Holographic, expressive sound tuning that is closer to neutral, but with just a hit of fun…”) |
パッシブモード (Chord Hugo 2 にて駆動):
これが Solitaire T の真髄である。音の立ち上がりが速く、背景は静寂。音色は極めてニュートラルで、色付けを排したモニターライクなサウンドが展開される 3。低域は量感こそ控えめだが、深く沈み込み、輪郭は明瞭で引き締まっている 5。中域の透明度は特筆すべきもので、ボーカルの微細なニュアンスや息遣いを余すところなく描き出す 10。高域は繊細で空気感に富むが、一部のレビュアーが指摘するように、ソースによってはやや硬質で「甘さ」に欠けると感じられる場面もあった 10。このモードは、Solitaire T が優れたソース機器に応えるだけのポテンシャルを持つ、本格的なオーディオファイル・ヘッドホンであることを証明している 3。
ワイヤレス HQモード:
驚くべきことに、その音の品位はパッシブモードに肉薄する 3。低域と中低域のボディ感がわずかに後退し、より分析的で見通しの良いサウンドへと変化する 14。ESS Sabre DAC の恩恵か、ワイヤレス接続とは思えないほどの解像度と静寂感を両立しており、静かな環境での移動中のクリティカルリスニングに最適である。
標準ワイヤレス (ANCオン):
音の基本キャラクターは保たれるものの、中低域にわずかな厚みが加わり、全体として少しウォームな印象になる 9。パッシブやHQモードで感じられた究極の透明感は一歩後退し、薄いヴェールがかかったような印象を受ける。これはANCヘッドホンに共通する特性であり、騒音下で音楽の基盤となる低域をマスキングから守るための、現実的なチューニングと言えるだろう。
ジャンル別適性:
- クラシック / ジャズ: パッシブおよびHQモードでその真価を発揮する。優れた過渡応答とディテール表現力は、オーケストラの各楽器を分離し、ジャズトリオのインタープレイを生々しく再現する 3。
- エレクトロニック / ポップ: 引き締まった低音は、ミックスを濁すことなく正確なリズムを刻む 3。しかし、地を這うようなサブベースの量感や衝撃を求めるリスナーには、やや物足りなく感じられるかもしれない 9。
- ボーカル / アコースティック: 透明な中域は、声やアコースティック楽器の質感をリアルに描き出す上で最大の強みとなる 9。
6. 価値の天秤:多角的な評価
Solitaire T の価値を判断するには、その多面的な性能を総合的に評価する必要がある。
評価軸 | 採点 (5点満点) | 解説 |
---|---|---|
技術性能 | ★★★★★ | 「三位一体」アーキテクチャは技術的偉業である。パッシブモードの性能は卓越しており、HQモードはワイヤレス忠実度の新たな基準を打ち立てた。いくつかの消費者向け機能は欠けているが、そのエンジニアリングは最高級である 10。 |
音楽的魅力 | ★★★★☆ | サウンドは極めて正確、詳細、かつ透明。しかし、そのニュートラルでリーンなキャラクターは、一部のリスナーが好む暖かみや「楽しさ」に欠ける可能性がある。ロマンティックで色彩豊かな表現者というよりは、精密な分析ツールとしての側面が強い 9。 |
ビルドクオリティ | ★★★★★ | 非の打ちどころのないドイツ製。アルミ削り出しの筐体、精密な公差、堅牢でありながら軽量な感触は、所有する喜びを感じさせる。ラグジュアリー製品としての風格と耐久性を兼ね備えている 2。 |
価格対価値 | ★★★☆☆ | 最も議論を呼ぶ点。ワイヤレスヘッドホンとしては極めて高価である。パッシブ/HQモードの性能は価格に見合うが、平均的なANC性能や最新機能の欠如を考慮すると、競合製品に対する価値提案は挑戦的と言わざるを得ない 19。 |
エルゴノミクス / 将来性 | ★★★☆☆ | 小さなイヤーカップ開口部は、多くのユーザーにとって深刻な快適性の問題となりうる 4。ファームウェア更新で機能が追加されたものの、Bluetooth 5.1の採用や次世代コーデックの非対応は、将来性という点で限界を示す。 |
総括: Solitaire T は、その核となる音響性能と物理的な作り込みにおいては、価格に見合う、あるいはそれ以上の価値を提供する。特に、高品質な密閉型ヘッドホンと高性能ワイヤレスヘッドホンの両方を一台で手に入れたいと考えるならば、その価値はさらに高まる。しかし、ANC性能や最新の利便性機能を最優先するならば、より安価で優れた選択肢が存在することも事実である。このヘッドホンの価値は、リスナーが何を最も重要視するかという、個々の価値観の天秤に委ねられている。
7. ラグジュアリー・ポータブルの現在地:Solitaire Tの存在意義
Solitaire T は、「すべてをこなす究極の一台」として市場に投入された 5。しかし、この「一台ですべてを」という命題は、オーディオの世界ではしばしば達成不可能な理想として語られる。Solitaire T は、この理想にどこまで迫ることができたのか。
その存在意義を明らかにするためには、競合製品の哲学と比較する必要がある。
- Bang & Olufsen Beoplay H100: デンマークの老舗が放つこの製品は、T+Aとは異なる種類の「哲学」を体現している。それは「永続性を持つオブジェ」としての哲学であり、音響性能だけでなく、デザイン、素材、そして触覚的な体験(haptic dial)を融合させた「魔法のような体験」の創出を目指す 27。チタンや本革といった贅沢な素材を纏い、あくまでデジタル処理を前提とした設計思想は、Solitaire Tの「パッシブ・ファースト」とは対極にある。H100は、ライフスタイルの中に溶け込む芸術品としての価値を追求しており、その評価は音質のみでは測れない。
- Focal Bathys / Bathys MG: フランスのスピーカー名門が手掛けるBathysは、Focalならではのダイナミックで音楽的な「ハウスサウンド」をワイヤレスで提供することに主眼を置く 28。その目的は移動中の音楽的快楽であり、純粋主義とは一線を画す。特に上位モデルのBathys MGは、Clear MG譲りのマグネシウムドライバーを採用し、より「ライブ感」のある生々しいサウンドを追求しているが 32、その根底にあるのは、あくまでDSPを駆使したアクティブヘッドホンとしての完成度である。バッテリーがなければ機能しないという事実は、この製品がSolitaire Tとは全く異なる土俵に立っていることを示している 31。
これらに対し、Solitaire T は全く異なる立ち位置を占める。その存在意義は、あらゆる指標で最高点を取ることではなく、特定の哲学を持つ、極めてニッチなユーザー層に応えることにある。そのユーザーとは、「伝統的なオーディオファイルでありながら、ポータブル環境へ足を踏み入れようとしているが、自らの核となる価値観(=信号経路の純粋性)を放棄することを拒む人々」である。
一般的な消費者が$1,600の製品に期待するのは、最高のANC、最新の機能、シームレスな体験だろう。Solitaire T はそれを提供しない 24。その代わりに、ハイエンドの外部機器の実力を引き出せる真のパッシブモードという、他にはない価値を提供する 3。これを最も評価するのは、既に優れたヘッドホンアンプやDACを所有しているオーディオファイルである。彼らにとって、Solitaire T は単なるトラベルヘッドホンではない。それは、旅行にも持ち出せる高品質なホームヘッドホンなのである。ワイヤレス機能は主目的ではなく、あくまで便利な「ボーナス」だ。
この視点に立つとき、Solitaire T の価値提案は完全に再構築される。それは「高すぎるワイヤレスヘッドホン」ではなく、「優れたワイヤレス機能が内蔵された、妥当な価格のハイエンド有線ヘッドホン」となる。これこそが、Solitaire T が激戦の市場において確保した、ユニークかつ揺るぎない存在意義なのである。
8. 結論 & 推奨ユーザー
T+A Solitaire T は、大胆かつ深く感銘的で、哲学的に一貫したエンジニアリングの結晶である。それは、あらゆる面で最高であることによって成功するのではなく、その核となる原則、すなわち純粋なオーディオ信号の神聖さを妥協しないことによって成功している。これは、ユーザーにその優先順位を共有するよう求める、一種のステートメント製品だ。その哲学に共鳴する少数の人々にとって、これこそが完璧な、そしておそらくは唯一必要とされるヘッドホンとなるかもしれない。
このヘッドホンを推奨したい人:
- 純粋主義のオーディオファイル: 主に自宅の専用アンプで聴くが、別のヘッドホンを所有することなく、旅行のための一台の高品質なソリューションを求める人。
- ディテール志向のリスナー: 色付けされた低音過多のサウンドよりも、ニュートラルさ、透明性、技術的性能を優先する人。
- エンジニアリングと品質の信奉者: 細部にわたる職人技を評価し、そのためにプレミアムを支払うことを厭わない人。
このヘッドホンを推奨しない人:
- ANC性能を最優先する旅行者: ノイズキャンセリングが最も重要な機能であるユーザー。Sony、Bose、Appleが、より安価で優れた性能を提供する。
- 「楽しいサウンド」の探求者: 暖かく、低音が豊かで、V字型のサウンドシグネチャーを好むリスナー。Focal Bathys や B&W Px8 の方が適しているだろう。
- コストパフォーマンスを重視する購入者: 価格に対して最も多くの機能と総合的な性能を求める人。Mark Levinson No. 5909 は、より低い価格でバランスの取れた機能を提供する。
- 耳の大きなユーザー: エルゴノミクス上のリスクは無視できない。購入前の試着は必須である。
総合評価:★★★★☆ (4.5 / 5)
0.5点の減点は、一部のユーザーにとって致命的となりうる小さなイヤーカップというエルゴノミクス上の賭けと、その価格帯においては競争力があるとは言えないANC性能に対してである。これらが、技術的に見事で音響的に卓越した製品に、わずかな影を落としている。
引用文献
- T+A elektroakustik GmbH & Co.KG - HIGH END Verband, https://verband.highendsociety.de/639.html
- Solitaire T Headphones — T+A Engineering Emotion - ta-hifi, https://www.ta-hifi.de/en/headphones/solitaire-t/
- T+A Solitaire T - HiFi and Music Source, https://hifiandmusicsource.com/2023/01/ta-solitaire-t/
- Review: T+A Solitaire T wireless audiophile headphones - Parka Blogs, https://www.parkablogs.com/content/review-ta-solitaire-t-wireless-audiophile-headphones
- SoundStageGlobal.com - T+A Elektroakustic Solitaire T: Do-It-All Headphones? - SoundStage! Global, https://www.soundstageglobal.com/index.php/blogging-on-audio/172-hans-wetzel/1143-ta-elektroakustic-solitaire-t-do-it-all-headphones
- T+A Solitaire T Headphones Review - Exceptional Hi-Fi Everywhere - YouTube, https://www.youtube.com/watch?v=ApvIX5rYMUE
- T+A Hi-Fi Solitaire T Noise Cancelling Headphones - Living Entertainment, https://www.lenc.com.au/products/t-a-hi-fi-solitaire-t-noise-cancelling-headphones
- T+A Solitaire T Wireless Headphones with Active Noise Cancellation, https://headphones.com/products/t-a-solitaire-t-wireless-anc-headphones
- T+A Solitaire T Wireless Headphones Review - Audio46, https://audio46.com/blogs/headphones/t-a-solitaire-t-wireless-headphones-review
- T+A Solitaire T review - What Hi-Fi?, https://www.whathifi.com/reviews/ta-solitaire-t
- T+A Solitaire T Headphones | House Of Stereo, https://houseofstereo.com/products/t-a-solitaire-t-headphones
- T+A Solitaire T wireless headphones - Hi-Fi+, https://hifiplus.com/articles/ta-solitaire-t-wireless-headphones/
- T+A Solitaire T Bluetooth/Wired Headphones - Stereophile.com, https://www.stereophile.com/content/ta-solitaire-t-bluetoothwired-headphones
- T+A Solitaire T | Audio Science Review (ASR) Forum, https://www.audiosciencereview.com/forum/index.php?threads/t-a-solitaire-t.43916/
- New Headphone Day with T+A Solitaire T! - Reddit, https://www.reddit.com/r/headphones/comments/zokij6/new_headphone_day_with_ta_solitaire_t/
- T+A Why — T+A Engineering Emotion - ta-hifi, https://www.ta-hifi.de/en/ta-why/
- The Physicist Turned Hi-Fi Designer You Need to Know About—T+A’s Siegfried Amft (February 2024) - YouTube, https://www.youtube.com/watch?v=K_wdYjcFxuo
- T+A Elektroakustik - Bliss Hifi, https://blisshifi.com/brands/ta-elektroakustik/
- T+A Solitaire T Review - Major HiFi, https://majorhifi.com/ta-solitaire-t-review/
- T+A Solitaire P-SE - Audio Science Review (ASR) Forum, https://www.audiosciencereview.com/forum/index.php?threads/t-a-solitaire-p-se.19292/
- T+A Solitaire T Bluetooth/Wired Headphones Page 2 - Stereophile.com, https://www.stereophile.com/content/ta-solitaire-t-bluetoothwired-headphones-page-2
- T+A Solitaire T Review: High-End Audiophile Wireless Headphones - Music Photo Life, https://musicphotolife.com/2023/01/ta-solitaire-t-review-audiophile-wireless-headphones/
- T+A Solitaire T Wireless Noise-Cancelling Headphones - Audio46, https://audio46.com/products/t-a-solitaire-t-wireless-noise-cancelling-headphones
- T+A Solitaire T Review: $1,600 For These Headphones, WHAT??? - YouTube, https://www.youtube.com/watch?v=pm0OUTqdxPI
- Mark Levinson 5909 vs T+A Solitaire T headphones - YouTube, https://www.youtube.com/watch?v=xbSiB2VxnvI
- T+A Solitaire T Headphones | Unboxing & Review - YouTube, https://www.youtube.com/watch?v=AqnZ8TvLkYE
- Bang & Olufsen Beoplay H100 レビュー:ラグジュアリー …, https://audiomatome.com/reviews/bang-and-olufsen-beoplay-h100/
- Best Wireless Noise Canceling Headphones For 2024 - Major HiFi, https://majorhifi.com/best-wireless-noise-canceling-headphones-for-2024/
- Bathys - Travel with High-Fidelity | Focal, https://www.focal.com/products/bathys
- Solitaire T+A vs H100 : r/BangandOlufsen - Reddit, https://www.reddit.com/r/BangandOlufsen/comments/1ijjpqc/solitaire_ta_vs_h100/
- A Simple Review of the Focal Bathys : r/headphones - Reddit, https://www.reddit.com/r/headphones/comments/1as69z5/a_simple_review_of_the_focal_bathys/
- Focal Bathys MG Wireless ANC Headphones REVIEW - The $600 …, https://www.audioreviews.org/focal-bathys-mg-review/