オーディオの世界には、単なる製品を超え、一種の神話として語り継がれる機器が存在する。Bowers & Wilkins Nautilusは、間違いなくその筆頭だ。1993年の登場以来、そのカタツムリのような、あるいは深海の生物を思わせる有機的なフォルムは、ハイエンドオーディオの象徴として、数多の雑誌の表紙を飾り、多くのオーディオファイルの憧れの的となってきた。
しかし、30年以上の時が流れた今、我々はこの音響彫刻にあらためて冷静な問いを投げかけるべきだろう。Nautilusは今なお最先端の音響性能を誇る至宝なのか、それともその革新性ゆえに時の中に凍結された、美しい遺物(レリック)なのだろうか。本稿では、その歴史的背景から技術的特異性、第三者による測定データ、そして現代の巨像たちとの比較を通じて、この伝説の核心に迫ってみたい。これは単なる製品レビューではない。一つの時代の理想が、現代においてどのような意味を持つのかを問う、思想の旅である。
Bowers & Wilkins Nautilus — Overview
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まずは、この唯一無二のスピーカーの客観的なプロフィールを確認しておこう。
- メーカー / 型番: Bowers & Wilkins / Nautilus
- 発売年: 1993年 2
- 価格帯:
- 主要スペック:
- 形式: 4ウェイ・4スピーカー、チューブローデッド方式、アクティブクロスオーバー 6
- 使用ユニット:
- 高域: 25mm アルミニウム・ドーム
- 中高域: 50mm アルミニウム・ドーム
- 中低域: 100mm アルミニウム/ポリマー・サンドイッチ・コーン
- 低域: 300mm アルミニウム・コーン 6
- 周波数レンジ: () 6
- 周波数レスポンス: ( on reference axis) 6
- 指向性: 基準軸に対し2 dB以内 (水平方向: 以上, 垂直方向: 以上) 6
- クロスオーバー周波数: 220Hz, 880Hz, 3.5kHz (付属の専用アクティブクロスオーバーにて分割) 6
- 推奨パワーアンプ: 1スピーカーあたり4チャンネル、各チャンネル (8Ω) 6
- 寸法 (高さx幅x奥行): 1210mm x 430mm x 1105mm 6
- 重量 (1本あたり): 86.5kg (スピーカー本体: 44.5kg, 台座: 42kg) 7
1. 衆議は果たして一致するか? — Nautilusレビューサマリー
30年という長きにわたり、Nautilusはどのように語られてきたのか。世界中のレビューを俯瞰すると、ある種の共通認識と、興味深い評価の揺らぎが見えてくる。
メディア | 引用抜粋 (和訳+原文) | 評価点 |
---|---|---|
Archimago’s Musings (Blog, 2014) | 「高域は非常に詳細だった…しかし、一部のトラック(特にダフト・パンクのような人工的な素材)では、アルミニウムツイーターからのリンギングが疲労感を強調しているのではないかと感じた」 “The upper end was very detailed…Having said this, I did wonder if there was a bit of ‘ringing’ from the aluminium tweeter which may accentuate the fatigue effect in some of the tracks” | ★★★☆☆ |
Audioholics (YouTube, 2024) | 「(801と比較して)ノーチラスはよりリラックスしており、少し甘美だ。801はより分析的で、よりタイトだ」 “(vs the 801) The Nautilus is more relaxed, it’s a little sweeter. The 801 is more analytical, it’s tighter.” (09:46–10:00) | ★★★★☆ |
Reddit User “tim-405” (2022) | 「ノーチラスの開発はB&Wでは完全に停滞している…ノーチラスは90年代のスピーカーのような音がすると評する人々もいる」 “the development of “nautilus” has complete stagnated at B&W…I’ve read people describing the nautilus as a speakers that sounds like one from the 90s” | ★★★☆☆ |
Reddit User “Modo44” (2023) | 「低音は『弱い』と感じられることが多い。なぜなら、それは極めて正確だからだ…これは標準的な『ハイエンド機器は悪いミックスを聴かせる』問題が増幅されたものだ」 “Usually the bass feels ‘weak’ because it is extremely precise…It’s the standard ‘high-end gear lets you hear the bad mix’ problem, but multiplied.” | ★★★★☆ |
集計とバイアス分析
レビューの総意は、その革命的なデザインと、それによってもたらされる中高域の驚異的な透明性、そしてスピーカーの存在が完全に消え去るかのような音場再現能力への賞賛でほぼ一致している 10。これはNautilusの設計思想が音として結実していることの証明だ。
しかし、その一方で、評価には常にいくつかの留保がつく。特に、現代の基準で聴いた場合の低域の量感やインパクト不足 12、そしてアルミニウムドライバーに起因すると思われる高域のキャラクター(ある種の鋭さや、ソースによっては疲労感)14 を指摘する声は根強い。
ここで我々が注意すべきは、一種の「アイコン・バイアス」の存在である。Nautilusはそのあまりの存在感と希少性から、試聴体験そのものが特別なイベントとなりがちだ 15。多くのレビューがその歴史的意義や造形美に言及することから始めており、純粋な音響評価に無意識のフィルターがかかっている可能性は否定できない。したがって、最も信頼に足る評価は、熱狂的な初期レビューよりも、現代の競合製品と同一条件下で比較した、より冷静な批評の中にこそ見出されるべきだろう。
2. 箱からの解放、あるいはチューブへの幽閉 — 技術的特徴の深掘り
Nautilusの異形の姿は、単なる奇抜なデザインではない。それは「スピーカーは箱である」という常識そのものへのアンチテーゼであり、音響物理学の原理を徹底的に追求した結果生まれた、必然の形なのである。
創業者ジョン・バウワースの遺言
このプロジェクトの起源は、B&Wの創業者ジョン・バウワースが亡くなる直前に着手した、採算度外視の研究開発プロジェクトに遡る。「スピーカーらしく聴こえないスピーカーを作れ」という、シンプルかつ究極の目標が掲げられた 1。彼の死後、その遺志は若きエンジニア、ローレンス・ディッキーに託された。ディッキーは5年もの歳月と「信じられないほどの自由」を与えられ、この前代未聞のスピーカーを完成させたのである 2。この物語こそが、Nautilusが商業製品である以前に、一つの理想を追求した研究の成果であることを物語っている。
革新の核:ノーチラス・テーパリング・チューブ
従来の箱型スピーカーが抱える根源的な問題は、ドライバーユニットの背面から放射された音(逆相音)がエンクロージャー内部で反射し、振動板を再び透過して再生音に混ざり、音を濁らせる(カラーレーション)ことにあった 。
ディッキーが導き出した答えは、その元凶となる逆相音を、反射する前に完全に消滅させることだった。そのために考案されたのが、各ドライバーユニットの後部に取り付けられた、指数関数的に細くなる長いチューブ(テーパリング・チューブ)である。このチューブの内部には吸音材が充填されており、ドライバーの背圧エネルギーを、まるでブラックホールのように吸収し尽くす。これは「逆ホーン」あるいは伝送線路(トランスミッションライン)の一種であり、ドライバーがあたかも無限の空間で動作しているかのような理想状態を作り出すことを目的としている 。
そして、あの象徴的な低域用の螺旋状チューブは、約3メートルにも及ぶ必要な長さを、急激な屈曲による性能劣化を避けつつ家庭内に設置可能なサイズに収めるための、純粋に機能的な解答だったのだ 。まさに「形態は機能に従う」を地で行く設計である。
引用: 17
素材と構造
ドライバーユニットは、高域から低域まで全てアルミニウム振動板で統一されている。これは、各ユニットが担当する周波数帯域を遥かに超える領域まで、歪みの原因となる分割振動を起こさずにピストンとして正確に動作することを狙った選択だ 8。この素材の剛性と軽さが、Nautilusの持ち味である音のスピード感と透明度に貢献している。
エンクロージャー本体には、厚さ10mmのガラス繊維強化プラスチック(GRP)が採用された 3。これは、木材では実現不可能な複雑な三次元曲面を成形でき、その曲線構造自体が高い剛性を生み出して共振を抑制するのに理想的な素材だったからだ。
アクティブクロスオーバーという必然
Nautilusを語る上で絶対に欠かせないのが、専用のアクティブ(電子式)クロスオーバーの存在だ。これはオプションではなく、このスピーカーを駆動するための必須コンポーネントである。なぜなら、Nautilusは内部にパッシブネットワークを一切持たないからだ 8。
この設計には二つの明確な理由がある。第一に、性能の追求だ。パワーアンプとドライバーユニットの間に介在するコイルやコンデンサーといった受動部品は、位相の乱れや電力損失、部品間の相互干渉を引き起こす。これらを排除し、パワーアンプが各ドライバーを直接駆動することで、制動力(ダンピング)や過渡応答特性が劇的に向上し、より鮮明でダイレクトなサウンドが実現できる 8。
第二に、設計上の必然性である。特に低域ドライバーは、長いチューブによって極端に制動(オーバーダンプ)がかかった状態にあるため、素のままでは比較的高い周波数からだら下がりにロールオフしてしまう 19。アクティブクロスオーバーは、この特性を補正し、公称スペック通りの深遠な低音域までフラットに伸ばすための精密なイコライゼーションを施す役割を担う。これをパッシブネットワークで実現しようとすれば、巨大で複雑、かつ電力を大量に消費する部品が必要となり、現実的ではない。
この選択は、システム全体のコストと複雑性を天文学的に押し上げる。オーナーはスピーカー本体だけでなく、最低でも8チャンネル分の高品質なパワーアンプと、それらを接続する無数のケーブルを用意しなければならない。これは、Nautilusが単なるスピーカーではなく、一つの巨大な「システム」であることを意味している。
比較スペック:巨像たちの系譜
Nautilusがオーディオ史に投じた一石が、その後30年でどのような波紋を描いたのか。その設計思想を、後継者と現代のライバルたちと比較することで浮き彫りにしてみよう。
特徴 | B&W Nautilus (1993) | Vivid Audio Giya G1 Spirit | Wilson Audio WAMM Master Chronosonic | Magico M9 |
---|---|---|---|---|
設計思想 | テーパードチューブによるキャビネット共振の完全排除 | テーパードチューブの進化と回折の最小化 | モジュール構造による機械的な時間軸整合 | 複合素材と超剛性構造によるキャビネットの完全な不活性化 |
筐体素材 | ガラス繊維強化プラスチック (GRP) 8 | ガラス繊維強化バルサコア複合材 | X/S/Vマテリアル (独自開発複合材) | カーボンファイバー/アルミハニカムコア、超巨大アルミバッフル 21 |
コア技術 | テーパリング・チューブ 18 | テーパリング・チューブ + カテナリー・ドームドライバー | マイクロメーター調整式ドライバーモジュール | ベリリウム・ダイヤモンドドーム、グラフェン・ナノテックコーン 22 |
クロスオーバー | 4ウェイ・アクティブ (外部) 8 | 4ウェイ・パッシブ (内部) 23 | パッシブ (内部、複雑なモジュール設計) | 4ウェイ・ハイブリッド (低域のみ外部アクティブ) 21 |
重量 (1本) | 86.5 kg 7 | 80 kg | 約952 kg (サブウーファー含む) | 454 kg 21 |
価格 (USD/ペア) | 約$110,000 1 | 約$93,000 | 約$944,000 25 | 約$750,000 21 |
この表は、ハイエンドスピーカー設計の進化の歴史そのものである。Nautilusが「共振の排除」という一点突破を図ったのに対し、現代のモンスターたちは、素材科学(Magico)や精密機械工学(Wilson Audio)を駆使し、より包括的なアプローチで理想を追求している。そして、Nautilusの生みの親であるディッキー自身がVivid Audioでチューブ理論をさらに発展させているという事実は、極めて示唆に富んでいる。
3. グラフは歌うか? — 第三者測定データに基づく客観的考察
その希少性とアクティブ駆動という特殊性から、Nautilusの独立した精密な測定データは極めて少ない。しかし、ポーランドのオーディオ専門誌『Audio』が測定したデータが、海外のフォーラムサイトAudio Science Reviewで議論されており、これが我々にとって貴重な客観的指標となる 26。
周波数レスポンス:隠された「ハウスサウンド」
測定データが示す軸上周波数特性は、中域にかけて驚くほどフラットであり、設計目標である低カラーレーションが見事に達成されていることを裏付けている。しかし、最も注目すべきは高域の挙動だ。グラフは3〜4kHzあたりから緩やかに上昇を始め、ピークでは数デシベル高いレベルに達している 26。
これは偶然ではない。この僅かな高域の持ち上がりこそ、B&W製品に共通して見られる「ハウスサウンド」の特徴であり、店頭での試聴では「ディテール豊か」「抜けが良い」と感じさせる一方、システムや聴く音楽によっては「ブライトすぎる」「聴き疲れする」と評価される要因でもある 27。コスト無制限のフラッグシップ機にさえ、この特徴的なボイシングが施されているという事実は、B&Wが純粋なフラット特性の追求よりも、自社の考える「良い音」を優先していることを示唆している。
ただし、Nautilusには他のスピーカーにはない切り札がある。それがアクティブクロスオーバーだ。耳に自信のあるユーザーやエンジニアであれば、ツイーターを駆動するアンプのゲインをわずかに下げるだけで、この高域の山を平坦に均し、よりニュートラルな特性へと調整することが可能だ 29。つまりNautilusは、出荷状態ではB&Wの音色を纏っているが、使い手のスキル次第で真のリファレンスモニターにもなりうる、二つの顔を持つスピーカーなのである。
指向性:スイートスポットの広さと高さの重要性
回折(音の回り込み)を生む角や平面を持たないNautilusの筐体は、水平方向の指向性を広く滑らかに保つ上で理想的だ 6。これにより、リスニングポイントが多少左右にずれても音像が崩れにくく、広いスイートスポットが得られる。
一方で、複数のドライバーを垂直に配置したスピーカーの宿命として、垂直方向の指向性は比較的狭い 6。これは、リスニング時の耳の高さをツイーターやミッドレンジの軸上に正確に合わせることが、設計通りの音色バランスを得るために極めて重要であることを意味している。
4. 伝説の音を聴く — リスニング・インプレッション
技術とデータが示す特性は、実際の音楽体験としてどのように現れるのか。世界中のリスナーの声を統合し、その音の肖像画を描き出す。
レビュアー / 媒体 | 引用抜粋 (和訳+原文) |
---|---|
Wes Phillips / Stereophile (N-801) | 「大きなスピーカーが小さなモニターのような楽なイメージングを持つとは期待しないものだ…しかしB&Wはキャビネット共振を減らし、拡散を最適化するために多大な努力を払い、それが大成功を収めた」 “you just don’t expect a big speaker to have the same sort of effortless imaging that a small monitor has. But B&W has gone to a lot of trouble…to reduce…cabinet resonances and to optimize dispersion, and it has paid off in spades.” |
Home Theater Fanatics (YouTube) | 「スピーカーに入れたものが、そのまま出てくる。それはかなり驚くべきことだ!」 “What you put into the speakers is exactly what comes out. It’s pretty amazing!” |
Reddit User “tim-405” | 「私が読んだところによると、人々はノーチラスを90年代のスピーカーのような音だと評している」 “I’ve read people describing the nautilus as a speakers that sounds like one from the 90s” |
Archimago’s Musings (Blog) | 「ステレオ効果は中心から少しずれても良好で、このセットアップは確かに良好な水平方向と奥行きの次元を伝えていた」 “The stereo effect was good even somewhat off center and this set-up certainly conveyed good horizontal and depth dimensions.” |
ジャンル別パフォーマンス分析
- クラシック & アコースティック: まさにNautilusの独壇場だ。テーパリング・チューブがもたらすキャビネットカラーレーションのほぼ完全な不在は、弦楽器の胴鳴りや人間の声の自然な響きを、息をのむほどの純度で再現する 10。分離された各ユニットと回折のない筐体が生み出す音場は、まるでホログラムのように三次元的で、スピーカーの存在は完全に消え去る 11。これは、設計思想が完璧に音として昇華された領域と言える。
- ジャズ & ロック: ここでは評価が分かれる。剛性の高いアルミニウムドライバーとアンプによる直接駆動が生む過渡応答の速さは、複雑なフレーズを驚異的な明瞭さで描き分ける。しかし、多くのレビューが指摘するように、このスピーカーが持つダイナミズムを完全に解放し「目覚めさせる」には、かなりの音量が必要となる傾向がある 10。低域は極めて明瞭で分解能が高いと評される一方、現代のロックやポップスが要求するような、身体を揺さぶるパワーや量感には欠けるという意見が多い 13。これは、オーバーダンプされた低域設計の音響的な現れであり、制御は完璧だが、バスレフ型のような「パンチ」とは異なるキャラクターを持つ。
- エレクトロニック & モダン (EDM, Hip-Hop): 現代の基準で評価した場合、おそらく最も不得手とするジャンルだろう。スペック上は () という超低域まで再生可能だが、その低音の質は、圧倒的なパワーではなく、あくまで精密さにある 30。あるレビュアーは、デモでヒップホップのような深いビートを持つ音楽が再生されなかったため、その実力を判断できなかったと記している 14。これは、Nautilusが本質的にアコースティックな響きの再現にその真価を発揮するスピーカーであることを示唆している。
5. 30年目の審判 — 評価と価値判断
Nautilusの30年にわたる旅路を総括し、その価値を多角的に評価する。
評価軸 | 採点 (5点満点) | 解説 |
---|---|---|
技術性能 | ★★★★☆ | テーパリングチューブは30年経った今でも天才的な発想であり、キャビネット共振の排除という点ではほぼ完璧。しかし、現代の素材科学やDSP技術と比較すると、そのアプローチは一つの側面に特化しすぎている。 |
音楽的魅力 | ★★★★★ | 特に中域の純粋さと音場の透明性において、比類なき魔法を持つ。スピーカーの存在が消え、音楽だけが空間に浮かぶ体験は、一度聴いたら忘れられない。ただし、その魅力を引き出すには相応の音量とシステムが要求される。 |
ビルドクオリティ | ★★★★★ | 英国ワージング工場での完全なハンドメイド。複雑なGRPシェルの成形から塗装、研磨に至るまで、その工程は工芸品の域に達している 1。2年待ちという納期がその手間を物語る。 |
価格対価値 | ★★☆☆☆ | 純粋な音響性能だけで見れば、現代の競合はより少ない投資で同等以上の性能を達成しうる。しかし、オーディオ史に残るデザインアイコン、機能する芸術品としての価値を考慮すれば、この採点は意味をなさない。これはもはやオーディオ機器ではなく、文化遺産への投資である。 |
将来性 / 修理性 | ★★★☆☆ | 設計は30年間不変であり、今後のアップデートは期待できない。しかし、外部アンプ方式であるため、アンプの進化には追従可能。B&Wは長期的なサポートで知られるが、特殊なドライバーの将来的な入手可能性には一抹の不安が残る 32。 |
ポジティブ/ネガティブ要素の整理
- 長所:
- 比類なき中域の純度と透明感
- スピーカーの存在が消えるホログラフィックな音場再現
- オーディオ史に燦然と輝く、機能美を極めたアイコニックなデザイン
- 工芸品の域に達した、完全ハンドメイドによる卓越したビルドクオリティ
- 譲る点:
- クアッドアンプ駆動が必須であり、システム総額が莫大になる
- 低域は極めてハイスピードだが、現代の基準では量感やインパクトに欠ける
- 標準設定ではB&W特有の高域の明るさがあり、ニュートラルとは言えない
- 30年間、技術的な進化が止まっている
- 純粋なコストパフォーマンスでは現代の競合に及ばない
6. 音響彫刻か、オーディオの遺物か? — 俯瞰的視点による分析
Nautilusを単体で評価するだけでは、その本質を見誤る。このスピーカーが生まれた時代と、現代という二つの座標軸の中に置いて初めて、その真の価値と立ち位置が明らかになる。
1993年の革命:箱の世界に投じられた異物
Nautilusが登場した1993年、ハイエンドスピーカーの世界は「箱」の進化の歴史だった。
- Thiel CS3.6: 傾斜したバッフルと一次のクロスオーバーで時間軸と位相を整合させた、当時の優等生。しかしその姿は紛れもなく四角い箱であり、極端に低いインピーダンスはアンプに過酷な要求を突きつけた 33。
- Wilson Audio WATT/Puppy: 中高域と低域を別筐体にするモジュール構造で一世を風靡した王者。しかしこれもまた、高度に進化した「箱」の組み合わせに他ならなかった 35。
- Apogee Grand: 巨大なリボン型平面スピーカー。箱からの脱却という点ではNautilusと軌を一にするが、その駆動の難しさと設置性の制約はNautilus以上だった 37。
こうした状況下で登場したNautilusは、単に高価で奇妙なスピーカーではなかった。それは「エンクロージャーそのものが音の敵である」と宣言し、音響物理学の原理原則だけでスピーカーを再構築しようと試みた、思想的な革命だったのである。
2024年の戦場:新たな軍拡競争
現代のハイエンドスピーカー開発の最前線は、Nautilusが戦った「共振」との戦いから、さらに先の領域へと進んでいる。目標は、キャビネットの「完全な不活性化」と「完璧な時間領域特性」だ。
前述の比較表が示すように、Magicoはカーボンファイバーとアルミニウムの塊から削り出した超重量級エンクロージャーで振動を封じ込め 21、Wilson Audioはモジュールをミクロン単位で調整する機械的アプローチで時間軸の完璧な一致を追求する 38。彼らの前では、1993年に革命的だったNautilusのGRPシェルも、相対的に古風な技術に見えてしまう。Nautilusが一点突破のスペシャリストだとすれば、彼らはあらゆる技術を統合した総合格闘家だ。
設計者の袂別:ノーチラスが見なかった未来
Nautilusの現在地を最も雄弁に物語るのは、皮肉にもその生みの親、ローレンス・ディッキー自身のその後の歩みだろう。B&Wを去った彼が設立したVivid Audio。そのフラッグシップであるGiyaシリーズは、誰の目にもNautilusの直系の子孫であることが明らかだ 12。
Giyaは、テーパリング・チューブというNautilusのDNAを受け継ぎながら、最新のコンピューター解析(FEA)を駆使し、より進化した複合素材で回折を極限まで抑えた筐体を設計し、新しいドライバーを開発した、いわば「Nautilus Mark II」である。しかも、それをパッシブネットワークで駆動可能にしたことで、システムのハードルを劇的に下げてみせた。
Vivid Giyaは、もしB&WがNautilusを静的なアイコンとしてではなく、進化し続けるプラットフォームとして扱っていたならば、たどり着いたかもしれない未来の姿だ。B&Wは伝説を保存することを選び、その技術的進化の血脈は、設計者本人と共に社外へと流出した。これこそが、Nautilusの現代における立ち位置を決定づける、最も重要で批評的な事実なのである。
7. 結論 & 推奨ユーザー
長い旅路の果てに、我々はこの問いに戻ってきた。「Nautilusは、誰のためのスピーカーなのか」。
このスピーカーの本質は、箱の呪縛から音を解放するという純粋な理想を、一切の妥協なく具現化した音響彫刻である。
これは、最新の性能指標を追い求める者ではなく、オーディオ史における最も美しい革命の証人となり、その音を所有することに喜びを見出すコレクター/芸術愛好家のためのものである。
- おすすめしたい人:
- スピーカーを部屋の主役となる芸術品として捉える、デザインコンシャスな人。
- オーディオ史のランドマークとなる製品を所有することに価値を見出すコレクター。
- 何よりも中域の純度とホログラフィックな音場を優先し、そのためにシステム全体を構築する覚悟のある探求者。
- やめた方が良い人:
- 絶対的なコストパフォーマンスを求める人。
- ロックやEDMのような、身体を揺さぶる低音のインパクトを重視する人。
- シンプルで手軽なハイエンド・ソリューションを求める人。
将来のアップデートや改造の可能性は、皆無と言っていい。このデザインは1993年の時点で完成され、時の中に封印されている。唯一の進化の道は外部コンポーネントの更新にあり、それは柔軟性という長所であると同時に、Nautilus本体が歴史の固定点であることを静かに認めている。
最後に、このスピーカーにふさわしい称号を贈るとすれば、それは**「音響彫刻の始祖」**だろう。
総合評価: ★★★★☆ (4.0/5.0)
これは、5つ星のアイコンであり、5つ星の工業デザインだ。しかし、2024年の最先端技術という文脈においては、4つ星のラウドスピーカーである。この評価は、その歴史的偉大さと今なお色褪せない音楽的な魅力への最大限の敬意と、30年という技術的進化の現実を冷静に受け止めた結果だ。Nautilusは今日、お金で買える最高のスピーカーではないかもしれない。しかし、最も重要なスピーカーの一つであり続けることは間違いない。
引用文献
- Nautilus - Iconic 120v floor-standing speakers | Bowers & Wilkins - United States, https://www.bowerswilkins.com/en-us/product/loudspeakers/nautilus-series/nautilus/150016.html
- Beyond the Curve: Celebrating 30 Years of Nautilus - Bowers & Wilkins, https://www.bowerswilkins.com/en-us/blog/products/nautilus-30-anniversary.html
- Bowers & Wilkins Nautilus Speakers Overview & Listening Results! - Audioholics, https://www.audioholics.com/tower-speaker-reviews/bowers-wilkins-nautilus
- B&W「Nautilus」が価格改定。ペア税込1540万円に - PHILE WEB, https://www.phileweb.com/sp/news/audio/202307/04/24440.html
- [Bowers & Wilkins] Nautilus 価格改定のお知らせ - PR TIMES, https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000348.000003601.html
- NAUTILUS (BLACK) - Piyanas, https://www.piyanas.com/product/343/NAUTILUSBLACK
- Bowers & Wilkins Nautilus | Soundstage Hi-Fi, https://www.soundstagehifi.co.uk/shop/p/bowers-wilkins-nautilus
- Nautilus owner’s manual - avbportal.com, https://linqcdn.avbportal.com/documents/af2070a5-6d05-4d3a-8990-672a5c4162da.pdf
- Bowers & Wilkins (B&W) Prestige series Nautilus Ultimate Loudspeaker (Pair), https://www.ooberpad.com/products/bowers-wilkins-prestige-series-nautilus-ultimate-loudspeaker-pair
- B&W Nautilus 801 loudspeaker Page 3 - Stereophile.com, https://www.stereophile.com/content/bw-nautilus-801-loudspeaker-page-3
- Bowers & Wilkins Nautilus Loudspeakers at CEDIA 2025 - YouTube, https://www.youtube.com/watch?v=A2qMuxDCsQE
- B&W Nautilus - Audio Science Review (ASR) Forum, https://www.audiosciencereview.com/forum/index.php?threads/b-w-nautilus.45805/
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- MUSINGS: Saturday AM B&W Nautilus Listening, http://archimago.blogspot.com/2014/02/musings-saturday-am-b-nautilus-listening.html
- You will NEVER hear the B&W Nautilus Speaker anywhere else! - YouTube, https://www.youtube.com/watch?v=acGVoFRenuw
- B&W Nautilus | :: art of design ::, https://artofdesign.wordpress.com/2006/01/22/bw-nautilus/
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- Bowers & Wilkins - Wikipedia, https://en.wikipedia.org/wiki/Bowers_%26_Wilkins
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- Magico Swings for the Fences: The M9 Loudspeaker - The Absolute Sound, https://www.theabsolutesound.com/articles/magico-swings-for-the-fences-the-m9-loudspeaker/
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- New 30th Anniversary Bowers & Wilkins Nautilus : r/audiophile - Reddit, https://www.reddit.com/r/audiophile/comments/13dyv7t/new_30th_anniversary_bowers_wilkins_nautilus/