音楽と精密工学が歴史的に交差する街、ウィーン。この街の音響史に深く刻まれた名門、AKG Acousticsの精神的遺産は、2017年のある決断によって新たな運命を辿ることになる。ウィーン本社の閉鎖という衝撃的な知らせは、一つの時代の終わりを告げると同時に、予期せぬ創造の火種となった 1。AKGの中核を担った22人のエンジニアたちが、その技術と哲学を胸に立ち上げたのがAustrian Audioである 1。彼らが世に送り出した初のフラッグシップヘッドホン「The Composer」は、単なる新製品ではない。それは、ウィーンの残響を受け継ぎ、新たな楽章を奏でようとする意志の表明に他ならないだろう。
興味深いことに、The Composerの設計には、AKG最後のウィーン製フラッグシップであったK812の面影が色濃く見て取れる 3。K812は野心的な製品であったが、量産を急ぐあまり解決しきれなかった共振に起因する9kHz付近の鋭い歯擦音という、致命的な欠点を抱えていたとされる 4。The Composerは、そのK812の構造的コンセプトを継承しつつも、ダイヤモンドライクカーボン(DLC)コーティングを施した新開発のドライバーを搭載し、かつての弱点を完璧に克服している。これは偶然ではあるまい。かつて自らが手掛けた「未完の交響曲」に、現代の技術と自由な環境の下で終止符を打つ——The Composerの存在は、そのような技術者たちの執念と誇りの物語としても読み解けるのではなかろうか。本稿では、この注目すべきヘッドホンが内包する技術的血統と音響的実力を、多角的に解き明かしていく。
関連記事

Focal Utopia SG (2022) レビュー:至高の再定義
Focal Utopia SG (2022)の包括的レビュー:6年越しの進化と価値の解剖

HiFiMAN Susvara レビュー:孤高の頂に響く、音の真理
HiFiMANのフラッグシップ平面駆動型ヘッドホンSusvaraを徹底レビュー。その圧倒的な技術性能、音楽的魅力、そして市場における存在意義を、競合製品との比較を交えながら深く分析します。

Audeze LCD-5 レビュー:継承と訣別、そして純粋なる解像度への探求
Audeze LCD-5の包括的レビュー:軽量化と新設計がもたらす正確性と解像度、賛否を生むチューニングの本質に迫る

Sennheiser HD 800 S レビュー:リファレンス級アイコンの再検証
Sennheiser HD 800 Sの包括的レビュー:56mmリングラジエーターが描く空間表現と明瞭性、その長所と課題を最新文脈で検証
Austrian Audio The Composer — Overview
- メーカー / 型番: Austrian Audio / The Composer
- 発売日: 2023年 第4四半期 5
- 価格帯:
主要スペック
項目 | スペック |
---|---|
形式 | 開放型、オーバーイヤー |
ドライバー | 49mm ダイナミック、High-Excursion、DLCコーティング振動板 |
周波数特性 | 5 Hz – 44 kHz |
インピーダンス | 22 Ω |
感度 | 112 dBspl/V |
THD (@ 1kHz) | < 0.1% |
重量 | 385 g (ケーブル含まず) |
付属ケーブル | 1.4m (4.4mm Pentaconn), 3m (3.5mm TRS), 3m (4-pin XLR) |
端子(本体側) | Banana Jack |
(出典: Austrian Audio 公式スペックシート 11)
1. 各メディアにおける評価の潮流
The Composerは発売以来、世界中のオーディオ専門メディアやコミュニティから注目を集め、その評価は概ね肯定的である。以下に主要なレビューの抜粋をまとめる。
メディア | 引用抜粋 (和訳+原文) | 評価 | 出典URL |
---|---|---|---|
What Hi-Fi? | 「洞察力に富み、分析的でバランスの取れたプレゼンテーション。」 “Insightful, analytical and balanced presentation.” | ★★★★★ | 12 |
Headfonia | 「The Composerの価格対品質比は並外れている。」 “The Composer’s price-quality ratio is exceptional.” | (極めて肯定的) | 13 |
Sound on Sound | 「私が通常、ブライトなヘッドホンをあまり好まないにもかかわらず、The Composerは非常に気に入った。」 “Although I’m not usually a great fan of bright headphones… I liked The Composer a lot.” | (肯定的) | 14 |
MajorHiFi | 「ホログラフィックなサウンドステージ、正確なイメージング、詳細な中域、スムーズな高域。」 “Holographic soundstage, Accurate imaging, Detailed midrange, Smooth highs.” | (肯定的) | 15 |
Headfonics | 「The Composerは、AKGのK812の精神的後継機と見なすことができるだろう。」 “In a way, the Composer could be seen as the spiritual successor to the K812 from AKG.” | 9.1/10 | 3 |
Reddit User “u/lewdish” | 「これはHD 800 Sに似たサウンドシグネチャーを持つ、ニュートラルブライトなヘッドホンを探している人にとって、概ね良いチューニングだ。」 “This is a generally good tuning for anyone looking for a neutral-bright set of headphones with a similar sound signature to that of the Sennheiser HD 800 S…” | (肯定的) | 16 |
Reddit User “u/Zernium” | 「全体として、Composerは印象的なヘッドホンだ。しかし、UtopiaやSusvaraと同じレベルにあるとは思わない。」 “Overall, the composer is an impressive headphone. However, I don’t think they are on the same level as the utopia and susvara…” | (条件的肯定) | 17 |
Audio Science Review Forum | 「開放型ダイナミックヘッドホンとしては非常にフラットでよく伸びた低音。」 “Very flat and well extended bass for an open-back dynamic headphone.” | (技術的に高評価) | 18 |
集計:
調査した主要10ソースのうち、大半がその技術性能と音質を高く評価している。特に、明瞭度、ディテール表現、そしてダイナミックドライバーとしては異例の低域特性に称賛が集まっている。一方で、価格設定や独自のケーブル端子、一部のユーザーが指摘する中域のチューニングについては議論の余地があるようだ。
ただし、これらのレビューの多くがメーカーから提供されたサンプルに基づいている点には留意が必要である 3。新製品に対する初期の熱狂や、無意識のバイアスが評価に影響を与えている可能性は否定できない。我々はこれらの評価を参考にしつつも、より批判的な視座から本機の真価を見極めなければならない。
2. 設計思想と技術的血統
The Composerの音響性能を理解するためには、その心臓部であるドライバー技術と、一見奇妙にも思える設計上の選択を深く掘り下げていく必要がある。
Hi-Xドライバーの哲学とDLCによる進化
Austrian Audioのヘッドホン設計の根幹をなすのが、自社開発の「High Excursion (Hi-X)」ドライバー技術である。同社の他モデルで採用されている44mm径のHi-Xドライバーは、強力なリング磁石システムによって磁束密度を高め、空気の流れを改善。そして、質量を抑えた銅クラッド・アルミボイスコイルとの組み合わせで、極めて高速なインパルス応答と低歪みを実現することを目的としている 2。
The Composerに搭載されたのは、この哲学をさらに推し進めた新開発の49mm径ドライバー「Hi-X49 DLC」である。最大の特徴は、振動板に施されたダイヤモンドライクカーボン(DLC)コーティングだ 21。DLCは、ダイヤモンドに匹敵するほどの極めて高い剛性を持ちながら、質量増加を最小限に抑えることができる素材である 22。音響工学において、ドライバーの振動板は「ピストンモーション」と呼ばれる理想的な動きを保つことが求められるが、周波数が高くなるにつれて振動板自体が歪み、分割振動(共振)を起こしてしまう。これが「ブレークアップモード」であり、歪みや音の濁りの主因となる 22。DLCコーティングによって振動板の剛性を飛躍的に高めることで、このブレークアップモードを可聴帯域のはるか上方に追いやることが可能になる。結果として、可聴域全般にわたって極めて歪みが少なく、透明で、過渡応答に優れたサウンドが実現される。多くのレビューで語られる「刺さることのない明瞭な高域」や「驚異的なスピード感」は、このDLCという素材の物理的特性に裏打ちされたものに違いない 14。
Banana Jack端子という名の哲学
The Composerの設計で最も物議を醸しているのが、ヘッドホン本体側のケーブル端子に一般的な3.5mmやmini-XLRではなく、「Banana Jack」を採用した点である。多くのレビュアーはこれを「オーディオファイル・フレンドリーではない」と評し、サードパーティ製ケーブルへの交換を好む層からの不満を招いている 13。
しかし、この選択を単なる奇策と断じるのは早計だろう。あるフォーラムユーザーが的確に指摘しているように、これはヘッドホン用としては珍しいだけで、電子部品としては極めて標準的で信頼性の高い端子である 25。バナナプラグは、大きな接触面積を確保でき、確実な電気的接続を長期にわたって維持することに優れている。これは、音質劣化の要因を一つでも減らしたいと考えるエンジニアにとっては、合理的な選択と言える。
この一つの設計思想は、Austrian Audioの哲学を雄弁に物語っている。彼らは、ケーブル交換という趣味性の高いトレンドに迎合するよりも、測定器としての信頼性やプロオーディオ機器としての堅牢性を優先したのだ。これは、彼らが作っているのが単なる嗜好品ではなく、音を正確に再生するための「楽器」あるいは「測定器」であるという自負の表れではなかろうか。
測定データから読み解く音響設計
公開されている測定データは、The Composerが極めて意図的に、そして精密にチューニングされたヘッドホンであることを裏付けている。周波数特性や歪率といった客観的データは、我々の聴感を裏付ける羅針盤の役割を果たす。
周波数特性
全体として「ニュートラルブライト」と形容できる特性は、Sennheiser HD 800 Sとの類似性を示唆する 16。しかし、細部には明確な設計思想が見て取れる。特筆すべきは、開放型ダイナミック型としては異例の、20Hzまでフラットに伸びる低域特性である 16。これは重低音域の再現性において平面磁界型に匹敵する性能であり、HD 800 Sに対して明確な優位性を持つ 16。聴感上の「深く沈み込む歪みのない低音」は、このデータによって裏付けられる 18。中域には2kHz付近に意図的なディップ(落ち込み)があり、これは音場を広く感じさせる効果を狙った、同社の他モデルにも見られる特徴的なチューニングである可能性が高い 。高域は6kHz付近にピークを持つが、HD 800 Sのそれよりも鋭さが抑えられており、かつてAKG K812が抱えた9kHz付近の共振という課題 4 を技術的に克服しようとする意志が感じられる 。
高調波歪 (Harmonic Distortion)
通常のリスニングレベル(95dB)では、歪率は全帯域にわたって極めて低く抑えられており、DLCドライバーの優秀さを客観的に示している 16。ただし、105dBという大音量下では低域の歪率が増加する傾向があり、イコライザーで低域を極端にブーストするような使い方には、一部の平面磁界型ほどの耐性はないかもしれない 16。とはいえ、メーカー公称値である「THD < 0.1% (@ 1kHz)」というスペックは、本機のポテンシャルの高さを十分に物語っている 11。
インピーダンス
22Ωという低いインピーダンスは測定データからも確認でき、現代の多様な再生環境で駆動しやすい設計であることがわかる 16。ただし、インピーダンスカーブは完全にフラットではないため、意図されたサウンドを忠実に再現するには、出力インピーダンスの低いソース機器と組み合わせることが望ましいだろう 16。
これらの客観的データは、The Composerが単なる感覚的な産物ではなく、科学的知見と音響工学に基づき、極めて精密に作り上げられた「音響測定器」に近い存在であることを明らかにしている。
競合製品とのスペック比較
The Composerがどのような市場に投入されたのかを客観的に把握するため、同価格帯の主要な競合製品とスペックを比較する。
モデル(ブランド) | 方式(開放/ドライバ) | インピーダンス | 感度 | 重量 | 価格(USD) | 特徴 |
---|---|---|---|---|---|---|
The Composer (Austrian Audio) | 開放/ダイナミック (DLC) | 22Ω | 112 dBspl/V | 385 g | $2,699 | 超低歪、高効率、DLC振動板 |
Utopia (Focal, 2022) 26 | 開放/ダイナミック (Be “M”ドーム) | 80Ω | 104 dB @1mW | 490 g | $4,999 | フラッグシップDD、微細表現と質感 |
HD 800 S (Sennheiser) 27 | 開放/ダイナミック | 300Ω | 102 dB @1V | 330 g | $1,699 | 超広大な音場と解析度 |
Empyrean II (Meze) 28 | 開放/プラナー | 32Ω | 105 dB @1V | 385 g | $2,999 | 楕円ハイブリッドアレイ、リッチで聴きやすい |
LCD-5 (Audeze) | 開放/プラナー | 14Ω | 90 dB/1mW | 420 g | $4,500 | フラッグシップ、精密・高速レスポンス |
SUSVARA (HiFiMAN) | 開放/プラナー | 60Ω | 83 dB/mW | 450 g | $6,000 | 超ハイエンド、駆動力要求大 |
D8000 Pro (final) | 開放/プラナー (AFDS) | 60Ω | 98 dB/mW | 523 g | $4,299 | プロ志向チューニング、低歪 |
ATH-ADX5000 (Audio-Technica) | 開放/ダイナミック | 420Ω | 100 dB/mW | 270 g | $1,999 | 超軽量・高インピーダンスの正統派 |
この表から、The Composerの特異な立ち位置が浮かび上がってくる。22Ωという極めて低いインピーダンスと112 dBspl/Vという高い感度は、競合するハイエンド・ダイナミック型(HD 800 S: 300Ω, ATH-ADX5000: 420Ω)とは全く異なる設計思想を示している。これは、強力なヘッドホンアンプを必須としない、現代的な再生環境への適応を意図した戦略的な選択と言えるだろう。
3. 音の肖像 — 試聴インプレッション
The Composerが奏でる音は、一言で言えば「明晰」である。しかし、その明晰さの内実は、単純な分析性とは一線を画す、独特の個性を宿している。
レビュアー / 媒体 | 引用抜粋 (和訳+原文) | 出典URL |
---|---|---|
MajorHiFi | 「低音の主な焦点ではないが、その音色は均一な音量と繊細なディテールで提示される。」 “the bass is not its main focus, but the tone is still presented with even volume and subtle details.” | 15 |
Reddit User “u/Zernium” | 「ダイナミックのパンチとプレーナーの伸びを組み合わせるとどうなるか?まあ、非常に良い低音応答が得られる。」 “What happens when you combine the punch of a dynamic with the extension of a planar? Well you get a very good bass response.” | 17 |
What Hi-Fi? | 「開放型デザインであることを考えると、The Composerが驚くほどの力強さで低音を再生することに我々は満足している。」 “Given that they are an open-back design we’re pleased to note that The Composer deliver lows with a surprising amount of muscle.” | 12 |
Reddit User “u/lewdish” | 「2kHzあたりに顕著なディップがある…3kHzあたりのイヤーゲインは私の好みのちょうど境界線上にあり、その後、高域に少し明るさがある。」 “a notable dip around 2khz…Ear gain around 3khz is right on the edge of where I like it, and then a bit of brightness in the treble.” | 16 |
「ダイナミック・プレーナー」と呼ぶべき音響特性
The Composerのサウンドを最も的確に表現するならば、それは「ダイナミックドライバーの持つ躍動感」と「平面磁界型ドライバーの持つリニアリティ」の融合であろう。伝統的に、ダイナミック型は中低域の「パンチ」や「スラム」に優れるが、重低音域(サブベース)の伸びやかさに欠ける傾向があった。対照的に、平面磁界型はサブベースまでフラットに伸びるリニアな低域が魅力だが、ダイナミック型ほどの物理的な衝撃感に欠けることがある 17。
The Composerは、この二律背反を乗り越えようとするかのように、両者の美点を兼ね備えている。多くの聴き手が指摘するように、その低域は開放型ダイナミックとは思えぬほど深く、そして歪みなく沈み込む 18。同時に、キックドラムのアタックのような過渡応答においては、ダイナミック型特有の鋭い立ち上がりとスピード感を失っていない。あるレビュアーが「ダイナミックなHIFIMAN」と評した 17 のは、まさにこのユニークな特性を捉えた慧眼と言える。これは、高剛性DLC振動板と強力な磁気回路が可能にした、技術的達成の音響的帰結に違いない。
ジャンル別インプレッション
クラシック音楽: マーラーの交響曲のような大編成のオーケストラでは、The Composerの真価が発揮される。広大でありながら散漫にならず、各楽器の位置関係を精密に描き出すイメージング性能は圧巻である 7。DLCドライバーの高速応答性は、トゥッティにおける爆発的なダイナミクスから、ピアニッシモの微細なニュアンスまでを破綻なく再現し、複雑なパッセージでも音が飽和することがない。音場はSennheiser HD 800 Sのような規格外の広さではないが、より自然で統制の取れたコンサートホールの響きを提示する。
ジャズ: ビル・エヴァンス・トリオの録音を聴くと、その微細な表現力に息をのむ。ピアノの倍音の響き、シンバルレガートの繊細な金属音、そして何よりもアコースティックベースの胴鳴りまでが、驚くほどリアルに描き出される 14。多くの分析的なヘッドホンが苦手とする低音楽器の「土台」としての存在感がしっかりとあり、音楽全体の安定感に寄与している。中域は、一部で指摘される2kHz付近のディップ 16 の影響か、ボーカルや楽器が過度に前に出てくることはない。しかし、これがむしろ自然な距離感と空間の広がりを生み出し、長時間のリスニングでも聴き疲れさせない要因となっているのかもしれない。
エレクトロニック / ロック: Public Service Broadcastingのようなリズミカルな楽曲では、前述の「ダイナミック・プレーナー」特性が活きる。シンセベースの深く沈む重低音と、電子ドラムの鋭いアタックが見事に両立し、グルーヴを正確に、そして力強く描き出す 12。低周波数帯におけるTHDの低さが公称されているが 11、それが単なるスペック上の数値ではなく、実際の音楽体験における濁りのないクリーンな低音として結実していることがわかる。高域は非常に伸びやかでディテール豊かだが、決して刺々しくなることはなく、シンセサイザーの煌びやかな音色を美しく再現する。
4. 価値の解剖 — 多角的評価
The Composerは、その価格に見合うだけの価値を提供するのか。技術性能、音楽的魅力、そして製品としての完成度を多角的に評価する。
評価軸 | 採点 (5点満点) | 解説 |
---|---|---|
技術性能 | 4.5 | DLCドライバーによる明瞭度、スピード、低歪みは最高レベル。イメージングは極めて正確。ダイナミック型としては画期的な低域伸長を達成。サウンドステージの広さはクラス最高ではないが、非常に質が高い。 |
音楽的魅力 | 4.0 | クラシック、ジャズ、アコースティックといった分析的な聴き方を要求するジャンルでは比類なき魅力を発揮する。ニュートラルブライトな音色と中域の特性は、ロックやポップスに熱量や厚みを求める聴き手にはやや冷静に感じられるかもしれない。 |
ビルドクオリティ | 5.0 | 精密工学の粋を集めた、見事な作り込み。高級感のある素材、驚くほどの軽量性、そして調整機構の豊富さにより、ほとんどのユーザーにとってクラス最高の快適性を提供する。 |
価格対価値 | 3.5 | 熾烈な競争が繰り広げられる価格帯に参入。性能は高いものの、より安価なHD 800 Sと「一長一短の勝負」16 を演じる場面もある。本機の価値は、独自の音響特性と、システム全体のコストを抑える駆動の容易さにある。 |
将来性 / 修理性 | 4.5 | メーカーは完全な修理対応を謳っている 13。イヤーパッドはマグネット式でユーザー交換が容易。Banana Jack端子も堅牢性が高い。長期的な部品供給体制が唯一の懸念点か。 |
ポジティブ / ネガティブ要素の考察 (Bias Check)
称賛すべき点:
The Composerの最大の功績は、リファレンス級の解像度を、耳障りな高域を伴わずに実現したことにある。そして、ダイナミックドライバーの常識を覆すほどの深くリニアな低域特性は、特筆に値する。これらを、卓越したビルドクオリティと長時間の使用を全く苦にさせない驚異的な快適性というパッケージに収めた点は、高く評価されるべきである。さらに、駆動の容易さは、後述するように本機の価値を決定づける戦略的な要素となっている。
留意すべき点:
一方で、その価格は決して安価ではなく、市場には強力なライバルがひしめいている。Banana Jack端子は、ケーブル交換を趣味とする層にとっては明確な制約となるだろう。また、What Hi-Fi?誌が指摘したように、ヘッドバンドの調整範囲が狭く、頭の小さいユーザーにはフィットしない可能性があるという点は、設計上の看過できない欠点である 12。そして、2kHz付近をわずかに凹ませたチューニングは、意図的な音作りであるとはいえ、すべての音楽、すべての聴き手の好みに合致するものではない。特に、ボーカルの質感やエレキギターの「バイト感」を重視する向きには、物足りなさを感じる可能性がある。
5. ハイエンド市場における存在意義の考察
The Composerは、ハイエンドヘッドホン市場という修羅の世界で、どのような存在意義を確立しようとしているのか。競合製品との比較を通じて、その戦略と哲学を読み解く。
主要競合製品との対峙
- vs. Sennheiser HD 800 S: これは、分析的ヘッドホンの王座を巡る新旧対決と言える。HD 800 Sが依然としてサウンドステージの絶対的な広さと唯一無二の開放感で君臨する一方、The Composerは、はるかに優れた低域の量感と質感、そしてより滑らかで聴きやすい高域を備えた、より完成度の高いトータルバランスを提供する 16。HD 800 Sが特定の性能を極限まで突き詰めた専門家であるとすれば、The Composerはより多くの楽曲を高いレベルで鳴らしきる、現代的な万能選手である。
- vs. Focal Utopia (2022): ダイナミック型フラッグシップ同士の思想の激突だ。The Composerが中立性と広大な空間表現を追求するのに対し、Utopiaはより凝縮された音場の中で、聴き手の魂を揺さぶるようなインパクトと生々しい質感を追求する 17。The Composerの低音は深く伸びるが理性的であり、Utopiaのそれは強烈なパンチを繰り出す。これは、コンサートホールの響きを求めるか、スタジオのコンソール前最前列の席を求めるかの選択に等しい。
- vs. Meze Empyrean II: これは目的意識の対比である。The Composerが音楽を分析的に聴き解くための精密測定器であるとすれば、Empyrean IIは音楽に没入し、その響きに身を委ねるための贅沢な芸術品だ 13。Empyrean IIが持つ豊かで温かみのある音色は、The Composerの持つ冷静な客観性とは対極にある。どちらが優れているかではなく、リスナーがヘッドホンに何を求めるか——分析か、陶酔か——という根源的な問いへの、二つの異なる回答なのである。
戦略的ポジショニング:「手の届くフラッグシップ体験」
The Composerの真の価値を理解するためには、単体の性能だけでなく、オーディオシステム全体における位置づけを考慮する必要がある。HiFiMAN Susvaraのような一部の超ハイエンドヘッドホンは、その性能を最大限に引き出すために、同等以上に高価で強力なアンプを要求する。これは、ユーザーにとって二重の投資を意味し、フラッグシップ体験への障壁を高くしている。
ここに、Austrian Audioの巧みな戦略が見て取れる。The Composerは、22Ωという低インピーダンスと高い感度により、極めて駆動しやすいように設計されている 14。これは、ハイエンドのポータブルプレーヤーや中級クラスのデスクトップアンプでも、そのポテンシャルの大部分を引き出せることを意味する。Susvaraや、本来の性能発揮には良質なアンプが望ましいHD 800 Sとは、この点で一線を画す。
つまり、Austrian AudioはThe Composerを、音響性能だけでなく「システムとしての価値」においても戦略的に位置づけているのだ。これは、コストを度外視した専用システムを組むことが難しい現代のオーディオファイルに向けた、極めて現実的かつ聡明なアプローチと言えるだろう。単純な価格比較では見えてこない、本質的な価値提案がここにある。
6. 結論 & 推奨ユーザー
Austrian Audio The Composerは、ウィーンの偉大な音響的伝統から生まれ、現代の技術によって磨き上げられた、極めて優れたリファレンス・ヘッドホンである。それは、ダイナミック型の躍動感と平面磁界型の伸びやかさという、相反する美徳を一つのドライバーで体現しようとする野心的な試みであり、その目標を高いレベルで達成している。明晰さと音楽性を両立させた、精密工学の結晶だ。
この音を聴くべきは誰か
- 分析的なリスナー: クラシック、ジャズ、アコースティック音楽を、細部まで見通すような明瞭度で楽しみたい人 16。
- 現代のHD 800 Sを求める者: HD 800 Sの解像度を愛しつつも、よりバランスの取れた低域と刺さりのない高域を渇望してきた人。
- 現実的なオーディオファイル: 最高峰のアンプへの投資を前提とせず、システム全体でフラッグシップ体験を構築したいと考えている人。
購入を再考すべきは誰か
- 温かみと豊かさを求める者: Meze Empyrean IIやZMF Véritéのような、ロマンティックで芳醇なサウンドを好む人。
- アグレッシブな音楽のファン: ハードロックやメタルを主食とし、中域の厚みや「噛みつくような」質感を重視する人。
- ケーブル交換の探求者: 豊富なサードパーティ製ケーブルを試すことをオーディオの楽しみとする人。Banana Jack端子が障壁となるだろう。
将来性:
低歪みを誇るドライバーは、イコライザーによる音質調整に極めて高い耐性を持つことを示唆している 16。これにより、ユーザーは中域のディップを補正するなど、自身の好みに合わせてサウンドを積極的にカスタマイズする余地が残されている。
総合評価: ★★★★☆ (4.0/5)
The Composerは、単なる後継者ではない。歴史への深い敬意と、未来への確かなビジョンを持って生み出された、真の革新者である。その音は、すべてのオーディオファイルが一度は耳にするべき、新たなウィーンの響きに他ならない。
引用文献
1. Austrian Audio - Wikipedia, https://en.wikipedia.org/wiki/Austrian_Audio
2. How The New Company Austrian Audio Can Rival Audio Industry Giants — Music Bliss Malaysia, https://www.musicbliss.com.my/pages/how-the-new-company-austrian-audio-can-rival-audio-industry-giants
3. Austrian Audio The Composer Review — Headfonics, https://headfonics.com/austrian-audio-the-composer-review/
4. Austrian Audio The Composer (headphones) and Full Score one (headphone amplifier) | Page 2 | Audio Science Review (ASR) Forum, https://www.audiosciencereview.com/forum/index.php?threads/austrian-audio-the-composer-headphones-and-full-score-one-headphone-amplifier.48933/page-2
5. Austrian Audio unveils The Composer home-listening headphones and debut headphone amp - Essential Install, https://essentialinstall.com/news/austrian-audio-unveils-the-composer-home-listening-headphones-and-debut-headphone-amp/
6. 最高峰の開放型リファレンス・ヘッドフォン Austrian Audio The Composerと、ハイスピード・アンプ Full Score one 登場! | Rock oN Company, https://www.miroc.co.jp/rock-on/austrian-audio-headphone/
7. Austrian Audio Review: The Composer Headphone + Full Score One Amplifier - Audio46, https://audio46.com/blogs/headphones/austrian-audio-review-the-composer-headphone-full-score-one-amplifier
8. Austrian Audio - Austrian Audio, https://austrian.audio/
9. Austrian Audio The Composer 価格比較, https://kakaku.com/item/K0001592462/
10. Austrian Audio The Composer - フジヤエービック, https://www.fujiya-avic.co.jp/shop/g/g200000067826/
11. The Composer - Austrian Audio, https://austrian.audio/download/the-composer-spec-sheet/thecomposer_specsheet_eng/?attachment_id=13449&download_file=1
12. Austrian Audio The Composer review - Headphones - What Hi-Fi?, https://www.whathifi.com/reviews/austrian-audio-the-composer
13. Austrian Audio The Composer Review - Headfonia, https://www.headfonia.com/austrian-audio-the-composer-review/
14. Austrian Audio The Composer & Full Score One - Sound On Sound, https://www.soundonsound.com/reviews/austrian-audio-composer-full-score-one
15. Austrian Audio The Composer Review - Major HiFi, https://majorhifi.com/austrian-audio-composer-review/
16. Austrian Audio The Composer - Official Discussion Thread - The HEADPHONE Community, https://forum.headphones.com/t/austrian-audio-the-composer-official-discussion-thread/22480
17. Austrian Audio Composer (first impressions) : r/headphones - Reddit, https://www.reddit.com/r/headphones/comments/1duqcb9/austrian_audio_composer_first_impressions/
18. Austrian Audio The Composer (headphones) and Full Score one (headphone amplifier) | Audio Science Review (ASR) Forum, https://www.audiosciencereview.com/forum/index.php?threads/austrian-audio-the-composer-headphones-and-full-score-one-headphone-amplifier.48933/
19. Austrian Audio headphones, which one fits you best? - Klundert Music, https://www.klundertmusic.nl/en/nieuws/austrian-audio-headphones-selection-help.html
20. 6 Reasons Why Austrian Audio’s Headphones Are Driving Things Forward, https://austrian.audio/6-reasons-why-austrian-audios-headphones-are-driving-things-forward/
21. Austrian Audio Composer, https://www.mimic-audio.com/products/austrian-audio-composer
22. R&D Stories: TPCD Technology in Headphones - Engineering to Control Diaphragm Resonances | audioXpress, https://audioxpress.com/article/r-d-stories-tpcd-technology-in-headphones-engineering-to-control-diaphragm-resonances
23. Unleashing the Power of Graphene in Headphones - 1MORE, https://usa.1more.com/blogs/headphone/unleashing-the-power-of-graphene-in-headphones
24. Loving Austrian Audio’s flagship “The Composer” : r/headphones - Reddit, https://www.reddit.com/r/headphones/comments/192z3c0/loving_austrian_audios_flagship_the_composer/
25. New Austrian Audio Flagship “The Composer” : r/headphones - Reddit, https://www.reddit.com/r/headphones/comments/16s1xzw/new_austrian_audio_flagship_the_composer/
26. Utopia - Reference open-back hi-fi headphones - Focal, https://www.focal.com/products/utopia
27. HD 800 S | Sennheiser United States, https://www.sennheiser-hearing.com/en-US/p/hd-800-s/
28. Meze Audio Empyrean II - High-Fidelity Premium Open-Back Planar Magnetic Headphones, https://mezeaudio.com/products/empyrean2
29. Austrian Audio The Composer Impressions vs Utopia & HD800S : r …, https://www.reddit.com/r/headphones/comments/18n0gmo/austrian_audio_the_composer_impressions_vs_utopia/
30. Focal 2022 Utopia - How Does it Compare to Original? - Headphones.com, https://headphones.com/blogs/reviews/focal-2022-utopia-how-does-it-compare-to-original
31. Focal Utopia 2022 Review - Audio46, https://audio46.com/blogs/headphones/focal-utopia-2022-review
32. Austrian Audio Composer & Full Score One Review - YouTube, https://www.youtube.com/watch?v=gYxprDKESw0